さて、しつこく続きです。

 

フィンドホーン→ハンガリー経由で

ダマヌールに来た私は、

フィンドホーンではLCG(LIVING in 
COMMUNITY AS A GUEST )プログラムと

いう長期滞在しながらコミュニティ生活を

経験するもので、私はすでに二回(2ヶ月)

体験済み。

 

 

ダマヌールで勢いで入った

ヒーリングスクールが

3年生だと後から知ったと同時に、

ダマヌールにもフィンドホーンと同じく

在住市民のようにコミュニティに暮らしながら、

ダマヌールでの経験をするというプログラムが

あることを知り、どうせまたスクールのために

来るんだから、次回はそのプログラムに参加しようビックリマークと決めて、日本に帰ったのでした。

 

 

元々は日本に帰って仕事をして貯金を貯めて、

またフィンドホーンでLCGプログラムをする予定

でした。


イギリスは入国審査が厳しいです。


すでに2回以上短期間にイギリスに行っているため、実は最後に行った時に入国管理官に「次はVISAがないと入れてあげないよ」

と釘を刺されていたため、

お金と時間を使って VISAを取得し再びフィンドホーンへ音譜

 

本当にフィンドホーンが大好きで、

逆になんで「ダマヌールにいるんだろ汗?」と

今でもたまにふと思います^^;

 

 

 

VISAを取っていたので、イギリスには

最長6ヶ月滞在が可能でした。

私は少なくとも3ヶ月はフィンドホーンに

居ようと思っていたのですが、

2ヶ月で限界を迎えました。

 

そしてプログラムを途中で終えて、

ダマヌールに向かったのでした。

 

その理由は・・・・

実はその時私はダマヌールに住むある男性に

恋に落ちていた(表現が古・・??)のですラブ

 

その人が恋しくて恋しくて、

早くダマヌールに行きたくてしょうがなかったのドキドキドキドキ

 

って書くと、

「なんだよ、それがダマヌールに辿り着いた理由かよ」

って思われそうですが、

実は全然そうでもないです。

 

まあ確かに予定より少し早く行くことに

なったけど遅かれ早かれ行くつもりだったし。

 

 

むしろ今振り返れば、どうせダマヌールに

ずっといるんだから

フィンドホーンにもうちょっと

いれば良かった、くらい思います。

 

 

 

でも確かなのは彼がいたからこそ、

その後もすべてが(ほぼ)スムーズに行ったと言えます。

彼もよく言っていました。

「僕は君のaggancioアガンチョだ」と。

 

aggancio とはイタリア語で、”フック”、”錨⚓️”

のこと。

私もそう思います。

彼は私のaggancio でした。

 

彼は私をダマヌールに繋ぎ止める”フック”の役割を果たしたのです。

 

だから私にとっては、

彼は私がダマヌールにいる「理由」では

ないです。

 

(また話は元に戻りますが、)

そして結局最終的にどこに行くか決めるのは自分、ですしねウインク