今日もabi333の独自目線で書きます。

(abi333は今年で、45歳なので40年前〜10年前までのことを、思い出して書いています)


わたしは幼い頃から、エホバの証人の家庭で育ちました。だけど今は占い師です。


宗教と占いは違います。宗教はなにかに信仰心を持てば、たちまちどこか、何かの信者になりますが、占いは信仰心があるからと言ってできるわけではありません。

占術を勉強したり、占術のガイドブックなどを見ながら占います。


占術は宗教の概念から作られたものなので、占いも宗教も同じようにみえるかもしれませんが

占いは宗教の様に、信じるものではありません。


占い師のほとんどは、占いを神様のお告げのように信じてはいないと思います。

占いはヒントであり、活用するものです。


エホバの証人の概念は、占いとは真逆です。

そもそも、エホバの証人は占いを禁止していますが、そんなこと、私には、関係ないし、知ったこっちゃないです。


エホバの証人の家庭に生まれたのに、占い師になった理由に、あまりにも、教義が『頭の中がお花畑』だからです。


エホバの証人で、エホバだけを信仰している人たちだけが楽園に行けるというものです。


私は子どもの時、母によく言われていました。


母と伝道中に公園で見かけた子どもたちを見て


母:あの子達は、いまは楽しそうだけど可愛そうね。楽園にいけないから


私:(黙秘)


なにかにつけて、楽園にいけない と脅してきますが、楽園に行けるの基準と楽園でのシステムがめちゃくちゃです。


一時期占いでも 『地獄に落ちるわよ』が流行りましたけどね


過去に、どんな悪いことをしてもエホバを信じていればOK!


例え、虐待の自覚がなく、うっかり子どものおしりをたたきまくっても、うっかり信条を強要しても、うっかり性虐待しても今エホバを信じていればOK!


エホバの証人の楽園の入園資格の基準には、コンプライアンスがないようです。そんなこと言ったら世の中99.9%の人は合格ですよ!


では、ココで問題です!

例えば、5人家族で、初めは5人ともエホバの証人でした。しかし後に4人はエホバの証人を、やめてしまいます。

ですので 残った一人(A子姉妹と呼ぶことにします。)しか、楽園にいけません。家族は、自分しか残っていません。その時、楽園に行けたA子姉妹は、家族のことを思い出して、悲しむのでしょうか?


答え:安心してください。そんなエホバを捨てた裏切りものの家族の記憶は一切なくなります。


私はこの概念を何度聞いても理解できません。むしろ小学生5年の時から心の中でツッコミをいれてました。


えっ、一緒に楽園にいかないとお母さんが悲しむからとか、別に気にしなくてもいいじゃん!


まあそれはそれでいいですよ。そういう世界観なんだから。


矛盾をついてもきりがありません。


でもこんなことって宗教に限らず、一般社会でも、ありません?


一般社会の闇が見えるのが嫌でエホバの証人になったのに、エホバの証人のなかでの中でも、闇を見ているのなら


それは単に 自分自身のものの見方の問題点を右から左に受け流しているだけです。


一般社会から逃げて、エホバの証人に救いを求めても、どこにでも闇はあります。むしろエホバの証人のほうがやばいかも


一時期、流行りましたね。ムーディ勝山さん

右からきたものを左に受け流す。あれですよ

ちなみにスピリチュアルの世界では

右が現実社会 左が精神世界


ですので、abi333は 左から来たものを右に受け流しながら またべつの左に受け流しています 笑


教義の解釈がコロコロかわるのも、あれとおんなじです。日本の憲法9条だっけ?(合ってるかどうかわからないけど…) 憲法9条の解釈を色々して、自衛隊を派遣するやつ(このことについては、abi333は反対も賛成もありません)


あんなのと変わらない。


ただ時代や情勢に合わせて面白くない大喜利してるだけです。


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