um gereizt zu werden -21ページ目

um gereizt zu werden

ダイエットや美容、ニュースや育児等幅広く書いていきます。

友人の話。

昔、怖がりなTと深夜のドライブに行った時にやったイタズラ。自分が運転。

①まず人けのないとんでもない山道へ行く。
②「なぁ、今の女の子ってこんな時間にこんなとこで何してるのかな?」とか言う。止まりはしない。もちろん女の子なんか見てない。
③15分置き位の間隔で「あれ?さっきの子じゃない?」とか言う。
④3回目で「ちょっと声かけてみる」とか言って車を止めて降りて誰も居ない所で話してるフリをする。
⑤びびりまくったTが勝手に車で逃げる。俺を置いて。
⑥途方に暮れる。

あの時は本当に参った。




iPhoneからの投稿
「けんか」で育つ本当の社会性

ある時の新聞に上のような表題の文章が掲載されてあり、読んでいてなるほどと思いましたので、書いてみました。みなさんも考えてみてください。幼児の社会性という根っこの部分を育てるための大切な考え方だと思います。

職員室にいた私の耳に子どもの泣き叫ぶ声が届いた。5分たっても声の調子が激しいままだ。何事かと声のする方に行ってみると、庭で敬君(3歳8か月)と諭一郎君(3歳3か月)がオレンジ色の運搬車を取り合って譲らず、泣き叫んでいた。担当の恵先生は、どちらかが相手の顔に手を出しそうな時だけ「それはやめて」と止めながら、成り行きを見ていた。

 さあ、どうですか?この子たちは3歳児ですからみなさんのクラスの子よりも小さな子供達です。そうなれば対応の仕方もおのずと違ってくるかもしれませんが、自分の幼稚園や小学校でこのような状況が起これば、先生方はどうしますか?さしずめ最近の親であればこうなる前にけんかを止めてしまうでしょうか。でも、止めるだけではその場は収まるでしょうが、それで子供達の社会性が身につくわけではありません。このような機会をどう考えていくかとても重要なことだと思います。大人としては後々のことを考えて、つい早めにことの収拾ができるように諭したり、叱ったりしがちになってしまいます。

周りにいた子供達も、自分の遊びを止めて、二人の様子を心配そうに見ている。どうやら敬君が押して歩いていた運搬車に、愉一郎君がおもちゃを乗せようとして、拒んだことから始まったようだ。相手を押しのけようと、激しく泣き叫んでいる二人に「なるほど、一つしかないものを(他の色のものはある)取りっこするんだから仕方ないね。だとすると明日の朝までやらないといけないね。」と言ってみた。

このように突き放してみれば、幼児はどうするんでしょうか。そんなことなど関係なく、まだまだ収まらないので運搬車を取り合うんでしょうか。それともそう突き放すようなことを言われてけんかを止めるのでしょうか。普通は私達も「こんなことやっていないで、お互いに相手のことを考えないとだめでしょ、自分の事ばっかり考えていたらいけないよ。」というようにして事を収めてしまう事が多いのですが、それだけでは先ほども言ったように、子供の社会性は育たない事が多いのです。かといって、そのまま放っておくこともできずに、このような場合、どうするかは難しい問題です。

けんかすると、大騒ぎしていた二人の手が一瞬止まった。全力を出していたので、二人とも肩で息をしていた。「あれ?ひと休み?そうだね、けんかって大変だね。」すると再び「ぼくが使いたいのー!」と試合開始。「長くかかりそうなので、みんなはお部屋に入りましょう。恵先生もお部屋に入ってください。」と私が指示すると、「けんか止めて!」と愉一郎君の本音が飛び出した。「止められません。一つしかないものを取り合っているんだもの仕方がない。」すると、一人だけ心配して二人の側から離れられなかった水紀ちゃん(2歳7ヶ月)が、「困ったね、愉一郎君も使いたくなっちゃったの…。」

結果は、愉一郎君が力で勝ち取った。しかし、水紀ちゃんに言われたことで気持ちを整理したのか、愉一郎君は「たーちゃん、これ使って。」と、取った車を明け渡し別のものを押し始めた。そして二人は抱きつくようにくっついて遊びだし、ニコニコしている。

子供っていうのはこのようなものでしょうか。もっと前の段階で「やめなさい」とけんかを止めておけば、それはそれで良かったのかもしれません。でも、そうだとするとまた後日、今度は別のものの取り合いで、二人の間に同じようなけんかが起こるかもしれません。

数日後に、愉一郎君が「けんかは嫌だ。」とぽつりと呟いたそうです。実感としてそう思ったのかもしれません。こんな時、大人は先ほど書いたようについ「相手のことも考えないとだめでしょ。」と言葉で気持ちを表してしまおうとしますが、子ども、特に幼児の場合は言葉ではなく、実体験でしかわからない場合があるような気がします。そんなことをこの筆者は

 今の大人達が、子供に人との関係性を育てようとするとき、言葉のやり取りに重きを置きがちだが、本当は言葉にしきれない感情体験が重要ではないだろうか。しみじみとした、ごちゃごちゃな、突き抜けたい、安らぎの―感情。整い切れない感情体験からしか、本物の社会性は育たないと思う。

このように最後に綴っておられます。確かに「子供達に社会性をつける」ということは、よく言われることです。しかし、どのようにすれば子供に押し付けるのではなく、「本当の社会性」を実感させて、つけてやることができるのかは、なかなか具体的には難しい問題なのです。

しかし、実はこのように子供の普段の生活の中に具体的場面がいくらでもあるかもしれません。それをついことが大きなことにならない内に、早く止めさせることばかりでは、実体験として相手との距離感やつながりを感じ取れるときを取り去ってしまうことになってしまいます。それを見極める力を私達は求められているといえるのでしょう。これは親も一緒になって考える必要があります。そのためにも保護者への啓発、親を育てることも必要になってきます。これも学校園全体で考えていくことだと思います。また、中学校でもこのような幼児期をくぐって、今の中学生が存在するということも知っておく必要があります。

子育ては、急がば回れです。その時は面倒でも、手間暇惜しまずやれば、子供はちゃんと応えてくれます。

社会性とは、自分の力で困難に立ち向かい、解決する能力だと思います。それを学校だけでなく、家庭でもやらせれば、子供の社会性は安定して育つでしょう。




iPhoneからの投稿