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ケータイを持ったサル-「人間らしさ」の崩壊
正高信男著 中公新書 から

かみさんから面白い本を買ってきたねと久々にお褒めを頂いた。滅多にないことだ!

この書は「ケータイを持つ」人が「サルだ」となじっているのではない。サルと似た精神構造の人が、たまたま手にしたケータイのメールにしか「生きている実感」を持てないでいることを皮肉混じりに述べている。メール中毒、ケータイ中毒の深層原因を、霊長類研究のプロの目で解きほぐしてくれたものだ。

いろいろ不可思議な事件を見聞きして疑問を感じる私にとって、その心理的背景を理解する上で大いに参考になった。
ごく一部を引用しそれについて感じたことを以下に示します。

●子育ては人間社会で最も大事な仕事ではないだろうか。その大事なことを母親一人でしなければならないと云うところに、まず問題があるのではないだろうか?旦那の協力がないことを云っているのではない。母親もその旦那も、第一子については子育ての素人の筈! 大事なことの半分を素人に任せたらどんなことになるか?

第一子で終わるのが半数という現状からすると、国の将来を素人に預けていると云っても良いと私は考えます。祖母ちゃん祖父ちゃんの知恵を拒絶するところから見直さないと、根本的な解決は難しいのではないかと思うわけです!

●その上で何故少子化なのかを考えたい。これは明らかだと思う。
「子育てに適した社会環境になっていない」というのは言い訳に過ぎない。根本は次世代の子供を育てることが人生最大の目的だということに気づいていない、あるいは教えられていないことにある。社会が永続する・・・この命題に一人っ子で応えられるはずがない。

なんのかんのと理由を挙げるが、ようは「自分らしく」生きるのに「子供は邪魔」と考えているためだろう。ありていに言えば自己中の故だ。

●過保護育児はその対極のようであるが、実は同じ原因で起こっている。個人のうわべだけの幸せを追い求めた結果だろう!実は子供にとっては不幸せの極みなのだが、それに気づく親は少ない。

●乳離れ、子離れは一人前の大人を生むための必須条件なのだが、、子離れ出来ない親の元でそれが叶いにくいのは自明のことだ。

本書 私のコメント
今日の日本は、極端な少子化社会と化してしまった。生まれてくる子どもは、手厚い保護のもとで育てられる。ふつう、養育はもっぱら母親の手でなされるが、母親はわが子につらい思いや悲しい思いをさせまいとする姿勢がたいへん強い。それは一見、うるわしい母性愛の発露として好ましいものであるという印象を与えるかもしれないが、「よい子」を増やす土壌になっている点で、決して手放しで推奨されるものではないのである。

例えば、日本の乳幼児は欧米に比べて、母親とともに過ごす時問が格段に多いことが知られている。先に述べたアフリカの狩猟民やサルに近いとも言える。生物としての霊長類本来の育児の姿に即している。「自然な」スタイルで子どもを育てるのが、もっとも好ましいとする発達観からすれば、日本の母子は密な情緒交流の機会があって、よりよい親子関係ととらえられることだろう。だが、本当にそうだろうか。

わが子につらい思いや悲しい思いを体験させることは、子供が一人前に育つ上で必須だ。思い通りにならない時間を体験しない人生はあり得ない。その点、悲しみやつらさから子供を「守り続ける」ことは子供への酷い仕打ちである。一生「よい子」で居続けることは不可能だと親自身が悟らねばならない。

民間の調査機関の報告によると、日本では近年、子どもの夜型化が進行しているという(『読売新聞』2002年六月一四日)。13歳の平均就寝時刻(平日)は、オランダで9時32分、アメリカでは9時42分であるのに対し、日本では10時58分と1時間以上もの開きが生じているという。

夜型化のきっかけは働きに出ている父親の帰宅が遅いため、妻が夫に合わせて夜更かしを迫られ、子どもが母親と密着しているため、ついつい「つき合う」形で寝ないでいることが多いらしい。

そもそも日本では、子どもはかなり大きくなるまで両親と同室で眠るのが通常とされている。添い寝の習慣が伝統的にあって、かつ少子化に伴い、それが年長の段階にまで延長してきている。

親は基本的に、子どもの立場に自ら立って、子どもに接するのが好ましいとされ、睡眠に際しても、子どもは親とともに眠りにつくことを求める。だから要求に応じて一体感を与えて安心させてやらないと、かわいそう-という発想になる。

寝るのが遅いのは社会全体の問題ではあるが、特に子供にとっては致命的かも知れない。


他方、欧米では、乳児期から子を夫婦と別室で寝かしつげる習慣がある。むろん、どちらにも一長一短あって、一方が他方より無条件によいと判断することはできないだろう。眠りに入る時は、親が側にいてやる方が子の情緒的安定によい可能性は否定できない。

しかし、親子であっても親には親の世界があることは、(いずれ)子どもにわからせる必要がある。それにも関わらず、大人と子どもの差異などないかのごとく、ひたすら子どもにのめりこみ、献身するのが子育ての理想であるかのような風潮が顕著化しつつある。

それが子への愛情の証であるとみなす態度を子どもは敏感に察知する。子は親との結びつきを感覚として保持するため、親が起きている以上は自分も寝ずにいたいと強く欲する。あげくのはてに、ずるずる夜遅くまで起きているという現象につながっていく。

「親には親の世界がある」ことは逃れられない事実であり、またそうでなくてはならない。これを教えられなかった子供は不憫といえる。

子どもは子どもだから、と親がきずなを切るというしつけがほとんど行われなくなっている。

むろん、きずなを断たれることは、子どもにとってつらく悲しいことに違いない。あらがい、時には泣き、おびえ、怒ることだろう。しかし、そういう機会をくり返し持つなかで、人間の自己というものは周囲から独立した存在として輸郭を与えられるのだ。つまり自立を遂げる。

かたや、つらく悲しい思いを経験しないと、幼児期の当面のあいだは攻撃性や不安の程度は低く抑えられる。けれども、自分は自分で他人ではないという独立心が稀薄なまま成長する。幼いころの母子一体の感覚を残したままの状態で思春期を迎える。そこで頭を打たれても、そのショックから立ち直る「免疫力」を持ち合わせていない。

心理的に独立出来ない子供は可哀想である。そのように育てた親を恨むべきかもしれない。子育ての究極の課題は、独立出来る子にすることなのだから 子どもとの一体感を維持しようとする養育態度は、1999年に文部省一現在の文部科学省)が実施した国際比較調査からも裏づけられている。

日本・韓国・アメリカ・イギリス・ドイツを対象にして、どれぐらいしつけを受けているかを尋ねたところ、「友だちと仲よくしろ」「弱い者をいじめるな」「うそをつくな」「人に迷惑を
かけるな」「先生の言うことを聞け」「物を大切にしろ」からなる全質問項目について、日本の子どもは親から「言いつけられていること」がもっとも少ない事実が判明したのだった。

これらの項目は、いずれも一般に公共のルールや公共道徳の基本をなすとみなされているものである。

現代の日本の親(とりわけ母親)は、わが子を愛することにおいては誰にもひけをとらない反面、公共の場へ出る準備に関しては、お世辞にも熱心とは言えない状況が浮き彫りになっているのである。 躾が悪のようにいう人が居るが、惑わされてはいけない。

しつけは子供自身のため必要不可欠なのだ。それを一番受けていないのが日本人だと分かった以上、物言う親に成るように努力する責務があろう 。



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