幸せになるために | um gereizt zu werden

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最近の若者の悩みごとの中には、「もう自分はどうにもならない」、「自分は無力だ」、「生きていてなにが楽しいのか分からない」、「なにもする気になれない」、「自分でなにも決断できない」ということが非常に多いように思います。それは馬鹿息子の言動にも、よく表れています。

人間は生きているかぎり、そのような疑問にぶつかることが当然ですが、昔はそのような疑問に正面から立ち向かって、自分で分からなければ書物を読みあさったり、先輩や上司に尋ねたり、友人どうしで議論をして自分なりの回答を得たと思っています。少なくとも私の周りの人達は、そのようにして人生の疑問を解決してきたと思っています。さすがに親には相談できなかったですが。

私達の年代の多くの者は、人生の諸問題や社会の矛盾について、授業をサボり、時間を忘れてお互いの考えを本音で討論し合ったものです。そして、その事がどんなに役に立ったかはかり知れません。
 
また先生達も真剣に相談に乗ってくれたものでした。私の中高時代は悪いことをすれば、先生は本気になって私達を殴りつけました。げんこつはもちろんのこと、ボクシングのストレートよろしく殴られたり、チョークを食べさせられたり、酷い時は革靴で蹴飛ばされたりもしました。それだけ先生たちも教育には命を懸けていたのです。体罰がいいとか悪いとかということではなく、教える方も真剣だったと言いたいのです。今になってようやく分かりましたが、先生達も真剣に生徒を育ての親として一生懸命育てて下さっていたのです。

今は時代が変わってしまって、体罰は悪い事として禁止されてしまいましたが、それはそれで仕方のないことです。また子供たちも自ら人生の疑問を考えることも少なくなり、相談できる相手もいなくなり、心の中に疑問をしまい込まざるを得なくなりました。競争ばかりの社会なので、みんなが利己的になってしまい相手を蹴落とすことが自分の利益になると思ったりして、相手を信じられなくなったのです。同時に親も子供の教育面だけに気を遣い、躾はできなくなりました。その理由はここでは取り上げません。親は子供に勉強ばかり要求して、日常生活のことを手伝わせることもなくなり、子供は人生にとって一番大切な体で覚えるということがなくなりました。 その結果子供がどうなったかというと、


自主性や自立心がなくなった
知識は豊富になったが生きる知恵がなくなった
物事を理屈だけで考えるようになった
汗を流すことの尊さが分からなくなった

自分のことしか考えられなくなった
勉強以外の努力ができなくなった
自分自身の考え方を持てなくなった
自分で決断できなくなった
親に依存ばかりするようになった
自分の意見が言えなくなった
思いやりがなくなった
忍耐力がなくなった
金がすべてになった
現実と仮想の世界の区別がつかなくなった
自己中心的(利己主義的)にしか考えられなくなった
家族さえも自分の目的達成のための道具と考えるようになった
挨拶もできなくなった
現実への対応能力がなくなってきた
協調性がなくなった
応用の利かない人間が多くなってきた
責任の取り方が分からない人が多くなってきた
優柔不断になってきた
物事を頭だけで考えるようになってきた



以上ようなことの当然の結果としてでてきたことが、青少年の犯罪の低年齢化と凶悪化です。本当に残念なことなのですが、今までのような教育や躾では今後ますますこのような現象は加速することでしょう。

今のように若者が現実に対応できなくなり、閉じこもったり、すぐにキレたり、諦めたり、責任転嫁をしてしまうのには十分な理由があると私は確信しています。本当はこんなことを確信したくはないのですが。今の若者に一番必要なことは、現実と対決する勇気を持つことではないでしょうか。それともうひとつ、失敗を過度に恐れない勇気を持つことです。
小さい時から親の言うことだけを聞くように育てられ、親に自分の意見を言えないで育ってくれば、子供は無力な存在ですから自分の世界に閉じこもらなければ、逃げる場所はなかったのです。または、キレてしまうかのどちらかです。被虐待児が正にそれです。
親は自分の心の葛藤の不安を解消するために、子供への愛情の名のもとに子供の心を殺してしまったのです。中には、本当に子供を殺してしまう親もいます。ここまで書くことは言いすぎのような気もしますが、大筋では残念ながら間違ってはいないと思います。 

その結果として、自分では何もできない若者が多くなった、出来なくさせられたのです。その力があるにも関わらず。そして、閉じこもる若者が多くなったのです。
この現象は若者だけではなく、30代や40代の人にも見受けられるのです。アダルトチルドレンやマザコン、そしてパラサイトシングルの出現です。自分が無気力で何もできなく、閉じこもるしかなくなってしまった人は、今までの家庭環境と親の躾を考え直してみることが必要なのです。自分は親にどんな育てられ方をしたのか、真剣に考えてみることが必要だと思います。考える事は、現実に立ち向かう事でもあります。

現実に立ち向かうことができない、現実に立ち向かうことが恐ろしいといって逃げてばかりいると、今のままの苦しく辛い生活が続くだけです。
親が養ってくれるうちはいいのですが、親が働けなくなったらどうするのですか?どんなに恐ろしくても辛くても、一度は現実に正面から立ち向かわなければ、辛くて苦しい状況からは抜け出せないのです。絶対に抜け出せないのです。
一時的には苦しくなっても現実と立ち向かう必要があるのですが、若者の多くは親にこの立ち向かう勇気を奪われてしまっているのです。勿論親は意識的に子供を骨抜きにしたわけではないのですが、結果としてそうしてしまったのです。親も子供を幸せにするために一生懸命努力したのですが、親の努力の方向が間違っていたと言わざるを得ません。私がそうでした。息子を立ち直らそうと、今まで色々な事をしてきました。先日、私が信頼している病院の先生に馬鹿息子や自分の事を相談しました。そこで分かったのが、私は息子を立ち直らそうとする事に必死になる余り、その方法を誤ったのです。努力の方向が正しかったにも関わらず、息子が中々立ち直る事が出来なかったのは、その為でした。

昔のように親が無学であれば子供に説教もできなかったし、また経済的な理由から子供の教育にかまうこともできなかったので、逆にそれが子供の自立心を育てたのです。子供も子供なりに両親を助けて働かなければ、生活していけなかったからです。そのなかからお互いの思いやりや労働の尊さ、自立心を身につけてきたのです。

今は親も高学歴の人が多くなり、子供の数も夫婦当たり1.5人を切るようになりました。経済的にも一応ゆとりがでてきたので、親は子供のこと全てに干渉し過ぎるようになったのです。そして間違った自信を持つ親が多くなったことが、今の状況をもたらしてしまったのです。余計なお金を持つと、人は余計な事をしたがるものですね。
いま自分でも分からないけれども苦しくて仕方のない人は、このことを考えてみてはどうでしょうか?しかし、それが当たっていたからと言って、親を恨んではいけません。 親は、その他にはどうしようもなかったのですから。親は本当に子どもの幸せを考えてやったことなのですから。ここのところはだけは分かってあげて欲しいのです。ただ過去を振り返って親を恨むのではなく、そのことを反省材料として未来を見つめるしかないのです。虐待する親は、論外です。私もつい最近まで、恨む事で頭がいっぱいでした。

いま悩み苦しんでいる人は現実から逃げれば逃げるほど、生きることが苦しくなるだけだということを分かって欲しいのです。私に騙されたと思って、逃げることを止めてみてはどうでしょうか?一時的にはもっと苦しくなるでしょうが、その未来に幸せがあるのです。幸せは簡単には手に入らないのです。 
汗水を流して、苦しみや辛さを味わった人だけに幸せは訪れるのです。今の私には、そのように思えるのです。 

幸せがやってくる前の段階の苦しみのところで、考えることや行動することを諦めてしまうから、いよいよ無力感を感じてしまい何事にもやる気をなくしてしまうのです。本当はそこで苦しみを乗り越える必要があるのです。ちょっと苦しいから、辛いからといって、そこで諦めてしまえば生きることが辛くなって当然なのです。何故なら自分の経験したことは、全てが苦しみや辛さの中で完結してしまっているから、何をしても面白くない、生きることの全てが苦しくなってしまうのです。だから人生に意味が見いだせないのです。今の若者の多くは、その乗り越えなければならない手前で止まってしまうから、無気力になってしまうのです。それが若者の多くが無気力になってしまった唯一の原因だと、あえて断定させてもらいます。もうひとつ先に、幸せが待ち受けているのです。あと一歩の努力で幸せになれるのに、そこで諦めてしまっているかも知れないのです。馬鹿息子にこの事をそのまま言っても難しくて理解出来ないので、言葉を替えて同じ事を私達夫婦は教えています。 

自分の知らない経験したことのないことを信ずることは難しいことですが、一生に一度くらいはその一線を乗り越えてみませんか?そのあとで生きていくことは面白くないと、いくら叫んでもかまいませんから。目先の苦しみに一度は正面から立ち向かってみませんか。そうすれば人生に、自分の考え方にどんな変化が起きるかを試してみませんか。
私は、怖かったけど試しました。試したら、自分も家族も、今まで大嫌いだった人間も好きになりました。本当は好きだった事を思い出せました。今は大変な事も多いけど、幸せです。不幸だと信じきって絶望していた事が、嘘のようです。

「人生、生きるに値するか否か」は、その後で考えてみてはどうでしょうか。やるだけやってみてから、生きていてもつまらないと叫ぶことには反対いたしません。やるべきことをやりもしないで、「自分は生きていくことが辛い」などとは言うべきではありません。やるだけのことをやって、それで人生に意味を見いだせなかったら、そのあとは好きにしてください。生きていくことには苦しみや辛さがつきまといますが、生きていくことは無意味ではないはずです。
人生を無意味にしているのは、あなたの現在の考え方なのです。あなたの知らない世界に飛び込んでみませんか?
生きることに意味があるかないかは、他人が教えてくれるものではなく自分で答えを出すことなのです。

「最終的に人生に意味を見いだせない」というのは、考え方ややりかたに何か問題があるのです。
だったら自分の考え方ややりかたを変えてみてはどうですか。いまの利己的な自分にだけしがみついていれば、幸せはやってこないと思います。現実と正面から向き合うこともしないで、「生きていても面白くない」とか「無力感に襲われてどうにもならない」などと言って欲しくないのです。一生懸命生きている人に、そんな失礼な事はありません。他人だけでなく、自分も馬鹿にしています。そのような言葉は現実と真剣勝負をしてからにして欲しいのです。
厳しい言い方になりましたが、本当にそう考えます。それでも現実に向き合うことのできない人が、大勢いることも理解しているつもりです。そのような人には、現実に向き合うための助けが必要なのです。一人で向き合う事が、とても大変な場合もあります。そんな時は、助けて貰っても良いのです。助けを求める事は、何も恥ずかしい事ではありません。助けを求められない事のが、恥ずかしい事なのです。

百歩譲って自分は現実と対決しているという人も大勢いると思います。それでも解決の糸口も見いだせないと言うことは、現実を見誤っているのではないでしょうか?あるいは現実への対処の仕方に問題があるのではないでしょうか?偉そうなことばかりならべて申し訳ないのですが。 

どう間違っているかが問題です。自分を社会から孤立したものとして考えてしまうことに問題があるのではないでしょうか?苦しいときは、自分が社会と密接な関係を持ちながら生きていることを忘れてしまいますが、そのことを思い出すように努力してほしいのです。そうすれば解決の糸口が見いだせると信じます。少なくとも私はそうしました。以前は天地がひっくり返ってもダメだと思っていた事が、解決していっています。

悩みは現実と向き合い、自らが成長しなければ解決しないと言いますが、正しくその通りだと思います。 
自分が成長するということは、経験する、体験するということであり、それは現実と関わり合うこと以外に何もないのです。現実と関わりを持たないで自分が成長できるということは、あり得ないことなのです。そのあり得ないことを期待して現実を無視するから、悩みは解決しないで、かえって苦しくなる一方なのです。どんなことをしても、あるいは何もしなくても、それも現実なのです。人間は人と関わり合うことなしに生きていけないのです。
いくら人間関係が煩わしいといっても、人と関わり合うことは避けられないのです。であれば積極的に人と関わり合って、楽しいはりのある生活をした方がいいはずです。私も人間関係が煩わしくて仕方なかったので、前向きな考えが出来るようになるまでに相当の時間が必要でした。

人間が積極的に生きて精神症や神経症になったという話は聞いたことがありません。みんな消極的に考えてしまった結果、神経症や精神を煩ってしまったのです。苦労や悩みはつきることはありませんが。 
そのような病にかかってしまう人は、次のような人たちなのです。 それが意味するところは、人間は消極的であれば、幸せにはなれないと言うことです。


マイナス思考の人
過去にこだわる人
結果論だけでものごとを考える人
自分なりの生き方を持たない人
完全主義の人
八方美人の人
社会に適応できない人
きまじめな人
人のいい人
頼まれても「いや」と言えない人
自己主張のできない人
物事を悪い方にだけ考える人
自分の世界に閉じこもってしまう人
優柔不断な人
他人の責任までも被ってしまう人
なんでも自分が悪いと考えてしまう人 (相手が悪くても)
いつも自分と他人を比較して生きている人
くよくよ、こせこせしている人
相手に気を遣いすぎる人
ものごとを一人で抱え込んでしまう人
怒られる勇気のない人
物事の優先順位が分からない人
周囲の意見に流される人
災いを授業料にできない人
失敗からなにも学べない人
恨みなどを生きる原動力にしている人
レ・ミゼラブルの主人公のような生き方です(恨みを晴らすためだけに生きているような人)

こんな性格の人が、心を病みやすいと思います。このようなことで心を病むということは、このようなことは人間をしあわせにしてはくれないということです。 

人間は現実と対決して多くのことを経験しなければ、決して強くなれないのです。今の社会はバーチャルな時代といわれるようになにが現実で、何がそうでないのかさえ分からなくなってきています。そんな中で自分を鍛えろと言っても、無理な話でしかありません。恐れずに現実と向き合うことによってしか、人間は強くなることはできないのです。分かり易いのが、武道やスポーツです。これらは自分と向き合う良い機会です。武道もスポーツも、相手がなければ出来ない事でもあります。人と接する事は、現実と接する事です。
言い換えれば、なにごとも積極的に経験して恥をかき、汗をかいて、はじめて生きることの意味を理解できるのだと確信します。

だから現実から逃げてはいけないのです。



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