荒れるロリータ | um gereizt zu werden

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「漢らしいロリィタ」
この発言は、まずかったと思う。男の娘かつロリータは、女性のロリータより風当たりきついし、不用意な発言をしたと見なされると叩かれる。
他のSNSでの出来事だが、不特定多数の人が見る以上余計気を遣わなければならない。

此処で思ったのは、現在のロリータファッション愛好者の認識や意識、正しい知識だ。

以前「ロリータは大人の女性の為の少女ファッションである」と書いた事がある。まず、これを知っている人はどのくらいいるのだろうか?

20代以上のロリータを「オバロリ」とか「婆ロリ」と言うのは、正しくないと思う。本来は、大人の女性の為の少女ファッションだからだ。

昔は今と比べると年齢が高めな人がロリータを愛好していたが、小学生がロリータをする時代になった。可愛いものに対する憧れはどの年代にもあるものだが、果たして勢いだけでやっていて良いのだろうか?

私は小さい頃から、フリフリなお洋服に対する憧れがあった。貧しい家庭に育った上に虐待されていたので、着させて貰えなかった。女の子らしさや可愛いものを否定しなければ生きてこられなかったので、普通の女性より憧れは強かったように思う。
そして10代の時にMALICE MIZERと出会い、私が求めていた世界は此処にあると思った。要は、衝撃を受けたのです。
それからロリータについて、色々勉強した。

そこで一番参考になったのは、Mana様のインタビュー記事だった。ゴシック要素が強いが、これもロリータには違いない。此処で学んだのは、精神性だった。

彼は理想の女性像を求めた結果、EGLに辿り着いたようだ。またEGLな装いをする自分も、自分の半身だと言っていたように思う。

最近のロリータさんは、こういう事を学ぼうとするだろか?

これも以前書いたと思うが「ロリータは単にデコラティブで可愛いだけのファッションではない」。ロリータは「古き良き時代の貴族ファッションを模したもの」であるから、高貴な精神を持たなくてはならないと思う。

私には最近のロリータさんは、形だけ習っているようにしか思えない。精神がない。

これが分かっている人は、ロリータのお洋服を「消耗品」として扱わない筈だ。つまり、本当の意味で愛する(いき過ぎ?)事が出来る。
それが出来ない人は、ロリータではない。勢いであっても愛があれば、私はそれで良いと思っている。愛がなければ、勢いで纏う事は出来ない私はと考える。
愛してもいないくせにロリータなお洋服に身を包むのは、単なる悪ノリだ。ロリータ愛好者やお洋服に、大変失礼だ。こういう輩は、ロリータが好きと言ってはいけない。

精神性や知識の欠如、学ぼうとしない姿勢が品格を貶め、あってはならない差別意識や偏見を産むのではないだろうか?

これはメディアも悪い。どんなお洋服にも歴史があるのに、これを無視して形しか情報として提供しない。その良い例が、最近ロリータブランドとアニメのコラボだ。

アニメという媒体のお陰で、ロリータは昔に比べると比較的誰でもし易いファッションになった。でも、こんな意識が蔓延してはいないだろうか?

「アニメみたいなお洋服」と。

間違いではないが、そのイメージばかりが先行してはならない。それが誤解を産み、その誤解がロリータファッション愛好者へのやり難さに繋がる。
比較的し易いファッションにはなったが、偏見が横行しているから非日常的なものではなく、差別的な意味での特殊性を増す。その良い例がアニメは余り好きではないのに、アニメオタクと勘違いされるロリータさんがいる事ではないか?
こういう勘違いを毛嫌いする人にとっては、失礼な話である。メンタル的な問題を抱える人に愛好者が多い事は、後日書きます。

歴史を学ぶ機会を提供しないで安易にコラボするから、本当に好きな人がロリータを上がる現状もあるのではないだろうか?私はそれが心配だ。正しい事を知っているであろう人が何も伝えられないまま止めるのは、益々勘違いした人を生み出す結果に繋がる。

どんな事においても、これは大変危険な事だ。

自分さえ良ければそれでいいなんて、今の腐った政治家共みたいではないか。

こんな大人やロリータさんを培養する社会であっては、絶対にならない。

文句を言われなければ何をしても良いのか?

自分の気が済めば、何をしても良いのか?

知るという事は、心を成長させる事でもある。心が育っていない人が多すぎる。心を育てられない人が多すぎる。

悲しい世の中になったものだ。