作家で映画監督でもある西川美和さんの著書『その日東京駅五時二五分発』を読んだ。小編なので一気呵成。

読んで驚いた。東京に住む叔父さんが戦争中の経験談を綴った手記を元にしていると言うが、叔父さんが所属していた部隊は、何と「陸軍中央特種情報部」だ。
当時は広島に住んでいた叔父さんが徴兵検査を受けたのは昭和20年4月。第二乙種合格だが、小柄な叔父さんは待機となる。しかし、5月半ばに陸軍への入隊を命じる召集令状が届き、大阪の部隊に入隊。叔父さんは、この部隊で無線通信の訓練を受た。そして彼は陸軍中央特種情報部に配属となる。深夜の大阪駅を東京に向かい着いた所は、北多摩通信所から4キロほど離れた訓練施設。当時は武蔵野の面影を強く残す所だ。
到着すると小隊長の掛井智常中尉が訓示する。
「ここは陸軍の情報の根幹を握るところである。我々は敵の発信する無線情報を、ここや千葉は房総・白浜の分遣隊等にて傍受して暗号解読し、敵の思惑や動きを大本営に連絡するのである。(中略)我々の読み取るこういった情報をもとに、大本営は警報を発令し、関係部署に連絡を入れるのだ。前線に立つこそ意義があると思われがちだが、情報こそが戦争の鍵だ。敵を知らなければ戦いようがないし、国や家族を守るすべもない。知っての通り戦局は逼迫している。今がふんばりどころだ。情報収集には人手がいる。しかもその一人一人が、技術と根気と集中力を必要とされる。訓練期間は二ヶ月だが、どうか1日でも2日でも早く実戦の場に立つつもりで努力して欲しい。今後このうちの誰かが重要な情報をすくいとり、日本を救う契機を作ってくれるかもしれない。ここに集った者たちの真心と知性を信じる。共にたたかおう-」
叔父さんは、この訓示に感激する。さて訓練施設は2階建てで、居住は2階で、暗号書がギッシリと詰まった1階で訓練を受けた。訓練は要するにモールスの送受信と暗号解読だ。
7月27日、叔父さんたちは、壊れた諜報用受信機を修理していた。真空管を変えると受信機は微弱な英語放送を受信する。やがてこれはポツダム宣言だと分かる。そして8月7日、6日の朝に新型爆弾で広島が壊滅したことを知る。8月11日には撤収作業に入るとの指示を受ける。掛井中尉は「機密書類や通信機材の一切合財を焼却し、あまざず処分しなければならない。(中略)紙切れ1枚残さぬよう」
8月14日にはいよいよ燃やすものがなくなり、最後に襟章と軍隊手帳の焼却を命じられた。掛井中尉は叔父さんに里が心配だろうから、まるべく寄り道せずまっすぐに帰ったほうが良いと言い添える。陸軍通信隊初年兵25名は、現金400円を貰って、叔父さんは一路広島へと向かった。
特種情報部は、その存在を湮滅すべし、との大本営陸軍部命令を受け、全ての資料機材を破壊焼却し、指名された者は、新たな氏名と戸籍と身分証明書を付与され部隊から去った。

読んで驚いた。東京に住む叔父さんが戦争中の経験談を綴った手記を元にしていると言うが、叔父さんが所属していた部隊は、何と「陸軍中央特種情報部」だ。
当時は広島に住んでいた叔父さんが徴兵検査を受けたのは昭和20年4月。第二乙種合格だが、小柄な叔父さんは待機となる。しかし、5月半ばに陸軍への入隊を命じる召集令状が届き、大阪の部隊に入隊。叔父さんは、この部隊で無線通信の訓練を受た。そして彼は陸軍中央特種情報部に配属となる。深夜の大阪駅を東京に向かい着いた所は、北多摩通信所から4キロほど離れた訓練施設。当時は武蔵野の面影を強く残す所だ。
到着すると小隊長の掛井智常中尉が訓示する。
「ここは陸軍の情報の根幹を握るところである。我々は敵の発信する無線情報を、ここや千葉は房総・白浜の分遣隊等にて傍受して暗号解読し、敵の思惑や動きを大本営に連絡するのである。(中略)我々の読み取るこういった情報をもとに、大本営は警報を発令し、関係部署に連絡を入れるのだ。前線に立つこそ意義があると思われがちだが、情報こそが戦争の鍵だ。敵を知らなければ戦いようがないし、国や家族を守るすべもない。知っての通り戦局は逼迫している。今がふんばりどころだ。情報収集には人手がいる。しかもその一人一人が、技術と根気と集中力を必要とされる。訓練期間は二ヶ月だが、どうか1日でも2日でも早く実戦の場に立つつもりで努力して欲しい。今後このうちの誰かが重要な情報をすくいとり、日本を救う契機を作ってくれるかもしれない。ここに集った者たちの真心と知性を信じる。共にたたかおう-」
叔父さんは、この訓示に感激する。さて訓練施設は2階建てで、居住は2階で、暗号書がギッシリと詰まった1階で訓練を受けた。訓練は要するにモールスの送受信と暗号解読だ。
7月27日、叔父さんたちは、壊れた諜報用受信機を修理していた。真空管を変えると受信機は微弱な英語放送を受信する。やがてこれはポツダム宣言だと分かる。そして8月7日、6日の朝に新型爆弾で広島が壊滅したことを知る。8月11日には撤収作業に入るとの指示を受ける。掛井中尉は「機密書類や通信機材の一切合財を焼却し、あまざず処分しなければならない。(中略)紙切れ1枚残さぬよう」
8月14日にはいよいよ燃やすものがなくなり、最後に襟章と軍隊手帳の焼却を命じられた。掛井中尉は叔父さんに里が心配だろうから、まるべく寄り道せずまっすぐに帰ったほうが良いと言い添える。陸軍通信隊初年兵25名は、現金400円を貰って、叔父さんは一路広島へと向かった。
特種情報部は、その存在を湮滅すべし、との大本営陸軍部命令を受け、全ての資料機材を破壊焼却し、指名された者は、新たな氏名と戸籍と身分証明書を付与され部隊から去った。