10年前の3月11日


あの日は子供達とゴロゴロしてた

長男6歳長女5歳次女1歳


相変わらずの私はウトウトしてたのかなー

起きておやつを食べていた長男が 


「ママ!めっちゃ電気揺れてる!」


と、叫んでびっくり

正直私も寝ぼけまなこながら


「何かゆらゆらしてるけどめまいかな…」


ってチーン呑気に…


で、TVをつけたら大惨事ガーン


仙台は父親の田舎

でも幸い山側で無事でしたショボーン


そこから私はパニックガーン

元旦那も父親も母親に電話しても仕事中で帰れない


幼児3人抱えてどうしよう…

うちは近くに浜がある…


とりあえず3階に避難アセアセ


そこで改めてTVをつけたら悲惨な映像が…えーん


すごく怖くなって

その当時、私が大好きなおばあちゃんが生きていたので、ばあちゃんにも安否の確認の電話をした


大好きなマンションばあちゃん

(マンションに住んでいたので私が小さい頃からの呼び名お願い)


「タクシーでも使ってばあちゃん家おいで!」

って言って私を安心させてくれましたショボーン

私の家から自転車で10分15分の距離


すごく悩みました…

ばあちゃんも心配やし

ばあちゃん家に行ったら安心は安心


でも…もし移動中にまた余震が来たら…

タクシーもすぐには捕まらない


かと言って自転車で幼児2人自転車こがせて…

も、怖い…


とりあえず母親が仕事終わるまで自宅待機する事にしました。

急遽、3階で避難タイム


食べ物とかを持って


子供達はよく分かってないため

いつもと違う状況にパーティー気分もぐもぐ


そりゃわからないですよね…


ま、、、その後も関西は震度3ぐらいで済んだので

良かったのですが




実は…

私にとって2011年はもうひとつ

特別な思いがある年ショボーン


その年の夏頃に大好きなマンションばあちゃんに急に胃がんが見つかり…

その5年以上前に膵臓ガンになり難しいと言われる5年生存率を頑張って乗り越えた…

そのため健康には人一倍気をつけて

定期検診も欠かさなかったのに…


頭をトンカチで殴られたような衝撃でした

なぜなら、私にとってマンションばあちゃんは

幼少期から目立ちたがり屋の兄と比べられ

親戚に忘れられるような引っ込み思案な子で

世間体をすごく気にする毒母にいつも怒られていました

「何でアンタはお兄ちゃんみたいに明るくできひんのかな?」


口を開けば兄と比較


また不幸なことに親戚で集まるみたいなのがよくありました…

その度に私は人見知り発動…


実はお父さんっ子やった私…

父親にベッタリでした…


それでも大人達が盛り上がって来たら

部屋の隅っこでいつも一人でいました


そんな時にいつも声をかけに来てくれるのが

マンションばあちゃんお願い


マンションばあちゃんは実は本当の祖母ではなく

母親の母のお姉さん

私から言うとなんて言うかわからないですが

私と兄には小さい時からばあちゃんは3人いた状態でした


本当の祖母は身体が弱くてんかん?みたいな感じのがあって発作がよく来て寝込む日々が多い印象であまり私は思い出はありません

兄は祖父にすごく可愛がられていたので祖父母といろんな所へ行ったりとたくさんの時間を過ごした記憶があると思います


私はマンションばあちゃんとの思い出がたくさん

自分の家であるはずの場所に居場所がないような感じで居心地が悪くよくばあちゃん家に遊びに泊まりに行っていました。

本当に本当に大好き過ぎて

膵臓ガンになった時、マンションばあちゃんがいなくなる恐怖がすごくて毎日お見舞いに行っていました。

本当にマンションばあちゃんがいなくなるのが心から怖かった…

ひとりぼっちになるみたいな感覚かな?

味方がいなくなると言うか…


で、話は戻り2011年…


胃がんを宣告されて手術をする事になりました。


私と母親、兄の代わりに嫁が手術に付き添い

7時間を予定する大手術


が………

手術開始1時間も経たないうちに

私と母親が呼び出されました…ショボーン


「滅菌服に着替えて手術室に来て下さい」と


私はその時絶対に大丈夫と信じていたので

倒れそうな母を抱えて二人で手術室へ…


そこには信じられない光景…


手術真っ只中のばあちゃんの姿

内臓が見えています


先生に近くに呼ばれ言われた言葉

「見て頂いたらわかるのですが…腫瘍ではなく皮膚に広がる癌のためこれ以上手の施しようがありませんので、大変申し訳ないのですがこのまま閉じさせて頂いてよろしいでしょうか」

と、、、、、、、


実際に水玉模様のように白い点々が見えました…

私と母親、崩れそうになりながらお互いに支え合い閉じて頂く事を了承しましたショボーン


スキルス性というやつだったんですね…


そこから日に日に弱っていく大好きなばあちゃん


私は今でも後悔しているのですが

そんなばあちゃんを見るのがどうしても受け入れ難く、更に本人には癌という事を秘密にするという事を家族みんなで話し合って決めました…


私は正直…反対でした


しかし隠蔽体質の父母兄が決めた事には逆らえません


死んじゃうってわかってるのに嘘をついて

「ばあちゃんまだまだ長生きするから大丈夫!」

なんてばあちゃんの顔を見て笑顔で言える強い心は私にはありません…

だから現実逃避してしまっていたんですね


しかし…その日はやって来ました


もうやまばだろうという数日…

母親、兄、私の順番で泊まり込む事になりました。


もう意思疎通もできません…

ずっと寝ているばあちゃんに話しかけるしかできません…

私は正直に寝てるばあちゃんにいっぱい謝りました


ばあちゃんがいなくなるのが怖くて

ばあちゃんが弱って行く姿が見れなくて

足が遠のいてしまっててごめんね…と

ばあちゃんにいっぱい恩返ししてないのに

まだ行かないでよ…って

その夜はたくさんたくさんばあちゃんに

喋りかけて泣き叫びました

「ばあちゃんお願いやから私のそばからいなくならないでよ…ばあちゃん…一人にしないでよ」


すると、ばあちゃんの目から涙が一滴流れ落ちました。

看護婦さんに「聴覚は最期まで残ってるからいっぱいお話ししてあげて」と言われてましたが、

ばあちゃん、意識朦朧の中、私の言葉をちゃんと聞いてくれているんだと、余計に辛くなりました。

本当に最期のお別れなんだなと…

翌朝、母親が来て、私の子供達が来るという事になっていました。

長男が一番ばあちゃんに懐いていっぱい可愛がってもらっていました。

いっぱいおもちゃ買ってくれるいっぱい遊んでわがまま聞いてくれる

私が小さい時にしてもらった同じ事を私の子供達にもしてくれたばあちゃんショボーン


長男が一番に部屋に到着してドアを開けるなり


「ばあちゃん」

と叫びました。


その時。

本当に本当に信じられないと思うのですが…


壁の方を向いていた意識のないばあちゃんがドアの方に首を向けたのです!!


それが最期のお別れになりました…


私はその瞬間から約3年間の記憶がありません…


未だにマンションばあちゃんの家の前に

行く事ができていません


私にとって2011年は

大地震の年でもありこの世で一番大事な人とお別れするというのを初めて知った年です。


昨日。震災関連の映像もいっぱい流れる中

音楽の日をたまたま見ていて、

ミスチルの桜井さんが震災の時間に合わせて

宮城県石巻市で唄っている画像を見て…

ボーっと見ていたのですが


あの日の事を思い出してしまって

大号泣してしまいました…

今も目がすごく重いです


ばあちゃんに会いたい


今でもその想いは変わりません


でも…まだばあちゃんの所へ行くべきではないようです…

私にも宝物達がいる


私みたいに悲しいツライ想いをさせてしまってはいけない


毎日ばあちゃんの所へ行きたい気持ちは心の奥底にあります。


一日一日

生きて乗り越えて行こう


最近やっとそう思えるようになりました


天国からばあちゃんが見守ってくれているから

現在こうやって幸せな第二の人生を生き直している


たくさんの人が同じ思いで毎日を生きているんだろうな


あれから10年も経ったんだな…

と感慨深い日でした


ばあちゃん、

本当に本当にありがとう

ばあちゃんに早く会いたいけど

頑張るよもう少し



この世で一番大事な宝物キラキラ





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