【茶話会〜心の復興〜】金沢・宝円寺
加賀藩前田家菩提寺の宝円寺で茶会がありました。今回、茶道の指導者から掛け軸の依頼があり隷書で揮毫。輪島被災地から永福寺の市堀玉宗さんも参加され、震災後の思いや朝市、寺院のこれからのあり方など語っていただき、今をしっかりと生きる大切さを学びました。最後に宝円寺神川住職ご夫妻と托鉢へと出発される市堀さん、仏舎利塔住職をお見送り致しました。





















【掛け軸 揮毫】

被災地輪島鳳至町からお越しになった俳人/曹洞宗僧侶の市堀玉宗さんによる語句の意味。

禅、書は深遠な世界だと改めて感じました。

以下、引用致します。

『今日の禅語』


先日、金沢市の宝円寺茶会の床に掛けられていた一幅の軸。書家の阿部氏の手になるものだが、


「斗南長見老人星」は『虚堂録』からの出典で、「四海隆平煙浪静」と対句になっている禅語である。

古くは、中国を中心とする周りには、四つの海があるとされた。その四海とは、全世界のことを表し、「四海隆平煙浪静」とは、天下泰平の世のことを言っている。争いの波も、戦火の煙も無く、静かな穏やかな世界。


「斗南」とは、北斗七星から南の方ということ。世間一般のことで、「老人星」とは、南極星の別名で寿老人にたとえられ、人の寿命を司る、大変おめでたい星とされた。これらの星が現れると、天下が安定し、永く平和が続くと言われたそうだ。南極星は、天の南極、あるいは、それに非常に近い位置に存在する明るい恒星のこと。古い時代の中国の武将達は、この星の輝きを見て戦況を考え、作戦を練り、未来を占った都もいわれる。そのおめでたい老人星が明るく輝き、天下泰平を永く見守ってくれるという意味になる。


というのが、一般的な、そして正解なのであろう。

その正解を無視して、お抹茶を戴きながら私なりの正解を考えていた。道元禅師を真似て言葉を換骨奪胎させてみる。


「和南」ということがある。お坊さんの手紙の最後に使われる言葉だが、目上の者が下の者に対する後付けである。下の者が格上の者に使ってはならない。「南面」「和南」できるのは格上のものだから。本尊は南向きか西向き。つまり北か東に位置している。鎮座している。「北斗和南す」「北斗は和南す」「斗南」ということになる。


「老人星」と呼ばれた「南極星」に対しては「北斗星」は「若星」ともとれる。その「若星」が「老人星」に「和南」することはあってはならないというのが常識であるが、禅は常識を超える。「長見」する。仰ぎ見る。敬う心の本質を試されている。


茶席だけに限ることではないが、和南する、敬う心に老若男女は関係ないだろう。肩書も善男善女も糸瓜もない。南も北もない。一期一会のいのちの今、ここの様子があるばかり。いのちに上座も下座もない。人情世情を休して茶席に参ずることが求められているんじゃないのかな。そんな茶席であってほしいね。


聊かならず、強引付会の観は否めないが、われながら自己満足したことではある。合掌。