先日叔母が、がんで亡くなった


コロナの影響で、姉のである母も、
甥の私も、お別れもできなくて、
叔父には、お悔やみと弔電を送った


日曜日

実家の父から、
香典返しが届いているから
都合のいいときに、取りにこいとのこと

取りに行きました


そこで父から、聞いた話
姉である母は、無口で語らない

(叔母も、そういうひと、だった)



大船渡市三陸町の地元では、
通夜葬式が執り行われた

コロナ禍においても、
500人を超える参列者だったという


叔母は、普通のおばちゃんだった

それなのに、こんなに人が参列してくれたと…



どうして?



叔母は、震災のときに、まっさきに、
炊き出しに走ったそうだ


私より困ってるひとがいる

その一心で、行っていたという


その時の叔母は、頭に髪の毛はなかった

抗がん剤の治療の影響で、毛糸の帽子を
かぶっていたという



それをみた被災者の方々が、

あなた、自分の身体悪いのに
きてくれたの?


叔母の家も、津波に流された


それでも、


命あって、自分が、できることがあるなら
助けなきゃって、思ったようだ



震災の時、すぐに、電話した
何か、いるものないか?


その問いに、叔母は、


皆さんのおかげで、ないものはない
心配かけてごめんね
私は、大丈夫だから!

ありがとう


そう、言った…



今思えば、
強い人だったんだ


その時、抗がん剤治療してることも、
私は知らなかった



震災から、10年

その時、がんの治療で髪の毛のない
頭を毛糸の帽子で隠しながら、
炊き出しにいった叔母の姿を、
大船渡のひとたちは、忘れなかった

家族も知らないひとたちが、
叔母の震災のときの姿を偲び、
感謝し、涙し、
手をあわせてくれた



叔母は、宮城県石巻市のはじっこ
見渡す限りのササニシキの田んぼの
中で育ったひとだったけど


最期は、


海も、空も青く、澄んだ町

大船渡のひとになっていた




自分が亡くなったとき、
地元に愛されて、惜しまれるよう
頑張らなきゃ






叔母を
誇りに思う…