令和3年10時19分午後2時22分。
大好きなおばあちゃんが旅立ちました。
享年99歳。誕生日から満97歳。
今日、というか日は跨いだので昨日になるけど
火葬と葬儀と納骨まで終えました。
はじめての同居の家族の別れで、
ショックが大きすぎて、未だによくない夢をみていたのではと錯覚してしまうけど、、
現実だったんだな。
悪性リンパ腫とか、膵臓癌とか病気を患ってしまっていたけど直接身体に悪さをすることはなく(具合は悪かったんだろうけど…)直接の死因は老衰と診断された。
本来なら激痛で苦しくなる病気のはずなのに
痛みも苦しみも訴えることなく、静かに眠るように息を引き取ったと聞いた。
それは奇跡だったと医師から伝えられた。
19日。
祖母の心臓が止まりそう、と母から連絡を受け、
職場から南病院まで急いで車を走らせた。
なんとか生きているうちに会いたい、そんな一心で震えながら車を走らせたが、到着した頃にはもう息を引き取っていた。間に合わなかった。
崩れ落ちそうになる気持ちと妙に冷静な気持ちと複雑に絡まりあってただ固まってるしか無かった。
コロナは落ち着いてはいたけれど、一度に病室に入れる人数は限られており、先に母が医師と死亡確認をして、次に父と私が病室へ入り、おばあと対面できた。
父がおばあの肩に、手をあてた。
動かない。何も言えない。
「おばぁ、、」話しかけるのにも精一杯。
込み上げてくる想いで溢れそうになる。
病室にはたくさんの入院患者さんがいたので、
泣きじゃくりたい気持ちを必死に抑えて
病室を出た。
覚悟はある程度してたつもりでも
いざ直面するとショックなのはショックなのだと思い知らされた。
そこからは葬儀屋への連絡、会社へ連絡、親戚へ連絡、兄の職場への連絡、、、
病院の霊安室で葬儀屋さんのお迎えを待った。
おばあの頬は冷たくなっていたけど、まだほのかに温もりを感じた。
直接、シンセラホールに行くことになったけど、
宿泊できる部屋は満室で、急遽法事用ホールに祭壇を置いてくれて、そこで寝泊まりできるように色々用意してもらえた。
いろいろ不便な待遇だったんだろうけど、
置かせてもらえるだけ有り難く思った。
今後の打合せ、親族や近所への連絡先、火葬場の予約、お葬式の段取り、目まぐるしく手続きが続いて、母が主に対応していたが、本当に遺族は悲しむ暇がないのだなと思った。
そして母はほとんど寝られなかったと思う。
父と兄はマイペースすぎてあてにならない。
なんとかしなければ!と気を張っていた。
住職さんの都合で通夜が翌日、1日あけて火葬、葬儀、納骨。
試験勉強したり、おばあの頬を触ったり、泣いたり、話しかけたり、親族や、近所の方の対応したり、なんやかんや長い時間をホールで過ごした。
2人きりでおばあと一緒に夜を過ごした時は、
子どもの頃、おばあの部屋に布団を敷いて一緒に寝たことを思い出してなんだか懐かしかった。
火葬の前日、家に帰っておばあへ手紙を書いた。
どうしてもおばあに読んでもらいたいと思いながら、泣きじゃくりながら書いた。直接言葉をかけたいが、言葉にできなくなるから思い出を描きまくった。誤字だらけで読みにくい手紙だったと思うけど、おばあへの想いが伝わるといいな。
おばあの着てた洋服。使っていたお箸。そして、泣きながら書いたお手紙、棺へ入れさせてもらった。
お別れの花を入れた。とても綺麗だった。
特に今日(昨日)は、火葬の受付や、火葬、収骨はじめてのことだらけだった。
火葬での最後のお別れが一番辛かった。
骨になった後は、なんだか諦めがついた気がした。
右側の太ももの骨のところに手術のあとで大きいボルトがあった。とても重かった。おばあを支えてくれたから一緒に袋に入れた。
親戚、従兄弟のみんな会いにきてくれて純粋に嬉しかった。
長くなってしまった。
書きたいことは山ほどあるけど、この出来事は日記に書いておきたかった。
悲しいことに忘れっぽいので、
こうして書いておけば記憶を呼び起こしやすくなるかなって。
でも、おばあのことは絶対に忘れない。
今までたくさんお世話になりました。
ありがとうね、おばあ。
大好きだよ!
お盆に帰ってきたら一緒にご飯食べようね。
まってるよ。