エッセイ 『心に残る食べ物』 | あべせつの投稿記録

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『心に残る食べ物』    あべせつ


「お祖母ちゃん!お漬物、今日はないの?」


独り暮らしの祖母の家に遊びに行くと、玄関を入るなりいつもこう聞いていた。


「あんたはほんとに漬物が好きだねえ」

祖母はいそいそと台所の漬物樽から胡瓜や大根や白菜のお漬物を取り出してくれた。

 

熱々のご飯があれば、他には何もいらない。

祖母のぬか漬けは絶品であった。


ある日のこと。祖母の家からの帰りの電車の中、寒い冬の日のこととて電車にはスチームが焚かれていた。足元から上がるその暖気の中、立ち上る異臭。暖められた漬物から立ち上る悪臭であった。

 

混んだ電車の中。じろりと向けられる乗客たちの冷たい視線に、顔から火が出て、場違いにも「こんなものを持たせた」と祖母への怒りが湧き上がってきた。

 

今なら知らん顔でやり過ごせることも、思春期の身には恥ずかしすぎる出来事だった。


この一件があってからか、学校が忙しくなったのか、次第に祖母の家への足が遠のいた。

 

それからしばらくして、元気だった祖母も亡くなってしまった。もうあのお漬物は食べられない。


四〇歳を越えた頃から無性に祖母のあのお漬物が懐かしい。本を読んだりネットで調べたりして今、私は祖母の糠床を作ろうと試行錯誤している。


あの薄暗い台所の棚の下にひっそりと置かれた漬物樽には、思い出がいっぱい詰まっている。


おばあちゃん。ありがとう。