世の中は自分の希望したようには動かない。

むしろ反対のことが多い。戦争もそうだ。

だから祈る。

自分が生きる上で、

なにがしか戦争に加担している点があるかもしれない。

例えばウクライナ支援に募金したとか・・・

難しい判断、泣いて馬謖を切る、背に腹は代えられない、

矛盾があっても先に進まないわけにはいかないことも多い。

だから祈る。

祈りは懺悔でもある。

清らかな祈りもあれば、忸怩(じくじ)たる祈りもある。

 

先日仕事した現場のことだ。

ベランダのエアコンの影に鳩の巣があって、

卵を温めている様子だった。

 

これもキレイにしなければならない。

サッシを開けると鳩は向かいの屋根に飛んで逃げた。

巣には二個の卵が。

 

私は毎朝、

「猫、鳥、犬はじめ全生物が、天与の生を全うできますように」

と祈っている。

その祈りを実践できるいい機会じゃないか、

結果は・・・・

仕事を発注した会社に撤去をお願いした。

これでは作業が全うできない。

鳩は向かいの屋根から、しばらくこちらを見ていた。

翌日の現場にはどこからともなく鳩の鳴き声が・・・

ポ、クルル

 

 

 

 

 

 

 

これがないと一日が始まらなくなっている。

雨が降ろうが、槍が降ろうが。。。

 

「世界の不遇な子供たちに、少しでも良き展望が開きますように。

良き老人老女が、窮地において救われますように」

 

「日本及び宇宙の良き人々が元気に豊かに、潤いをもって、

今日を暮らせ、戦争なく、事故なく、疾病疫病なく、

災害なく、テロなく、虐待なく、ハラスメントなく、

悪意なく、犯罪なく、明日の人生に希望を見出していけますように」

 

今朝通勤途上、混雑している交差点の時差式信号が⇒を出したので、

右折しようとしたら、

なんとすでに直進信号は赤なのに、ぐいぐいやって来る車がいた。

相手の運転者は、曲がろうとしている私に文句を言っているようだ。

「なにぶつかってくるんだ」と言っているようだ。

 

後続の車もあり、先頭の私が曲がらないと、

後ろの車に迷惑がかかる状態になった。

時間ギリギリ隙間をついて私は曲がった。

後続車も一台だけついてこれた。

 

私は大きな声で、言ってはいけない言葉を発した。

残念にも窓が開いていた。

私の声が交差点に響いたかもしれない。

しかし正当化してはいけない。

反省しつつ、祈りは続けた。

そうしないと、一日が始まらないから・・・

 

 

 

 

 

 

 

祈りは願望でもある。

「こうであって欲しい」

「欲しい欲しい欲しい」
だから、ある意味俗物かもしれないが、

それでも祈っていきたい。

 

こんなことも、

「人類の進化と平和に尽くす者は恵まれ、

守られますように、

進化を阻害する者は改心しますように」