選挙が近づいてきた。気になるのは、自民党による「日本国憲法改正草案」である。憲法97条「この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、・・・侵すことのできない永久の権利として信託されたものである」がごっそり削除されているのだ!
◆ある有力な自民党議員は「主権は国民にはない」と公言してはばからない。◆「個人があって国家がある」のか、それとも「国家があってこそ、個人がある」のかという命題の対立がここにある。日本国憲法の基本精神はもちろん前者であるが、自民党草案は明らかに後者である。
◆日本国憲法の成立に影響を与えたと思われるアメリカの「独立宣言」には「われわれは、自明の真理として、すべての人は平等に造られ、造物主によって、一定の奪いがたい天賦の権利を付与され・・・これらの権利を確保するために・・・政府が組織されたこと、そしてその正当な権力は被治者の同意に由来するものであることを信ずる」と書かれている。つまり、造物主(神)の存在を前提としているのだ。
◆「お国のために死ぬことは当然」と教えこまれた戦前、「個人」はないも同然だった。また「国家神道は宗教ではない」という詭弁によって、「信教の自由」さえも簡単に奪い去られたのは、「国体護持」という国家至上主義があったからである。
◆「個人主義」が行き過ぎると、要求ばかりして国民としての当然の義務さえ果たさなくなる、と草案支持者たちは言う。それも一理あることは否定しない。
◆しかし、「天与の人権」とは、最終的に「天」に対する説明責任が問われるものなのだ。「天」とは国家のことでもなければ為政者や元首のことでもない。「大きい者(権力者)も小さい者(庶民)」も公平に裁かれる神ご自身のことである。私たちがこの御方によって命と存在を与えられている、ということをしっかりと認識しなければ、時の権力者の考えに翻弄されることは必至である。

 

「また私は、死んだ人々が、大きい者も、小さい者も御座の前に立っているのを見た。・・・死んだ人々は、これらの書物に書きしるされているところに従って、自分の行いに応じてさばかれた。」(ヨハネの黙示録20章12節)

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