昔、とても悲しい思いをしたことがあります。
今でも思い出したら悲しくなることがありますが、ほぼほぼ忘れることができているし、逆に笑い話にもすることができている。
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悲しいことがあったとき、
私は沖縄の離島へ行き、ひとり旅をしました。
家にこもっていると、その悲しみが倍以上に膨れ上がりそうだったから。
悲しいことから目を背けるため、遠くの地へ足を運び、壮大で透明感のある綺麗な海の前で、頭をからっぽにした。
もちろん旅の途中で思い出すと辛かったけれども、何も知らない土地を一人で旅するというワクワクのほうがまさっていたなあと思い出します。
かなしいことがあったとき悲しさを10とするのなら、
まずは寝ることで悲しさを7まで減らして、
起きて朝日を浴びることで5まで減らして、
体を動かしてお出かけして3まで減らして。
でも日中悲しさがぶり返して7まで戻って、
再び寝て、朝日を浴びて、体を動かして...
悲しさがどんどん減っていきました。
悲しさの程度によっては、こんなに簡単に済む話ではない。
長い時間を経ていく必要がある悲しさもある。
けれど悲しいときには
◉寝る
◉朝日を浴びてセロトニンを分泌する
※セロトニンは悲しさを薄める
◉体を動かす
この3つがとても大事。
起こった事象に変化はない。
変化させることもできない。
そして悲しさを自分で忘れることはなかなかできない。
そんなときは、心が停滞しないように、、、そして悲しみを膨らませないよう、、、体を動かすことで心を循環させる。
忘れるということは、心を流すということ。
心を流すということは、循環させるということ。
そうすると次第に、自身の心に変化が見られるようになる。
昔悲しいことがあったときに自然と
【旅をする】
という選択をしたことは間違いじゃなかったし、今思うとその旅があらたな自分の始まりでもあった。
特に海の力はとてもとても壮大で、自然の力を借りさせてもらったなあとつくづく思います。