私は、

いつも理不尽に怒鳴る父と、それに従う弱い母という機能不全家庭で育ちました。

 

 

いつも家庭内が不安定。

 

 

両親は子供の前で当たり前のように喧嘩する。

 

そんな家庭でした。

 

 

私は物心ついた時には、

いつも両親の顔色を伺う子供になっていました。

 

 

思春期でも、反抗期がありませんでした。

 

 

 

特に、母親対しては気を遣っていました。

 

 

「母は弱くて可哀想だから、わがまま言って困らせてはいけない」と。

 

 

 

 

 

去年あたりから、

「毒親」

「母という病」

というワードを目にするようになり、

いろんなブログや本を読んでみた。

 

 

 

そんな中で「私の生きづらさは母親との問題にあるのかも」と

思い始めました。

 

 

思い始めた頃は、葛藤しました。

 

「お母さんは悪くない。被害者だ」と母を庇う私もいました。

 

 

でもやっぱり私の内心を掘り下げると、

母に対して「ああして欲しかった、こうして欲しかった」という

幼少期の満たされなかった気持ちがたくさん湧いてきた。

 

 

 

「この満たされなかった気持ちが、私の人生拗らせてる」と感じた私は、

母を庇うことをやめる事にしました。

 

 

 

 

私は、母ではなく自分を助けると決めました。

 

 

 

第一歩として去年母に、

幼少期から抱いていた思いを、初めて直接伝えた。

「弟ばかりでなく、私のこともちゃんと見て欲しかった。

可愛がって欲しかった。」など、何個か伝えてみた。

 

 

 

 

(その時にもっとたくさん、母に伝えたいことがあったのだけど、

昔の寂しかった思いが込み上げてきて、私は泣いてしまい、、

それ以上、伝えきれなかった。)

 

 

 

 

そして母は、土下座して私に謝りました。

 

 

が。

 

 

 

私にはその謝罪と土下座が何にも響かなかった。

 

 

 

「お母さんは、私に対して本当に悪かったと思ってるんだな」って、

感じる事がなぜだか出来なかった。

 

 

 

 

謝られたとこで、私の悲しかったり怯えていた気持ちは癒えるものではなかった。

 

 

 

今思うと、本当に謝って償って欲しかったのは、

「子供の頃の私」だからかなと感じます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その夏あたりから、改めて

「母に言い足りなかった私の気持ちを全部伝えたい。

暴言でもいいから、母に遠慮なく気持ちを伝えられる私でいたい」

と思うようになりました。

 

 

 

 

直接いうか手紙にするか。

すごく悩んだ結果、手紙で伝える事にした。

(全部言いたいことを冷静に伝えたかったので)

 

 

 

 

そして私は、

今までひたすらノートに書いてきた母への思いを手紙にし、送りました。

 

 

今まで親に気を遣って生きてきた

お母さんにこんなこと言われたのは傷ついた

私の生きずらさは母との関係のせいだ

お母さんはクソだなと思った

可愛がって欲しかった

父の暴言から私を守って欲しかった

お母さんの親(私の祖父母)もバカで毒親

などなど、

今まで言いたくても言えなかったことをたくさん書いた。

 

 

 

手紙を送った直後の私は、少しドキドキしていた。

 

 

「母に何て思われるだろう」というドキドキ。怖さ。

 

 

 

まだ、母の顔色を伺う私が残ってた。

 

 

 

 

そこからまた、

「これからも親の顔色を伺う私でいたいのか」と自問自答を続けた。

 

 

 

 

おかげで、

手紙を送って数日経った今は、

その怖さは薄れています。

 

 

それ以上に、

「勇気出して母に言いたいこと書けた事が嬉しい。この手紙を読んで母にどう思われてもいい」

って思えるようにまでなりました。

 

 

 

母親と向き合う作業はまだ始まったばかり。

 

一歩一歩、勇気出そっと。