気がつけば 3月も12日。


中学生の頃 

3月は英語で、マーチを

花の3月マ~チましょ。(待ちましょう)

と覚えました。


今頃は

進学先も決まり 

下宿(古っ)先探しに走り回る 

ヤングマンも

たくさんいてはるのでは

ないでしょうか。🎵


ワタクシも1972年の今頃 

大学を広島 愛媛 京都 東京と

6つ受け 

なんとか1つだけ合格(笑) 

(高校時代はバレーボールと生徒会活動に明け暮れてたもんな)


まあ受験先の宿では

全国の受験生と

プチ宴会していたからな(笑) 

受かる訳ないよな。

 

京都では新京極の繁華街に

繰り出したな(笑) 


東京では茗荷谷にある

県人会宿舎の先輩の部屋に

泊まらせてもらいました。

初めて飲んだ東京の水道水には参りました😂 (塩素臭)その頃

まだ田舎 井戸が、2つあったとです。 

重信川周辺は湧水の泉が沸いていました🎵

試験の後は 銀座に行って  

その後 帝国ホテルて

いっちゃん安いランチを食べました。


その京都に愛媛から 

受験のために行くのに

関西汽船の船で

松山高浜港から 

神戸港  阪急電車 神戸線 京都線 利用。


帰りは 

大阪弁天埠頭から

松山高浜港へ。



🔻現在の松山観光港

のルートでした。

帰りの大阪弁天埠頭の時は

船が、まさに出発せんとするきわどい

タイミングでなんとか乗船できた。

ヤバかった思い出が、あるのだか  

弁天埠頭を出て安治川を下って

すぐに見えた  

でっかい 港大橋の夜景が今も忘れられません❗

当時 まさか 数年後に 

大阪に定住して 

大阪港で、釣りをするとは 思ってもいなかったな。

 
🔻東洋一のトラス橋 港大橋
付近はチヌ スズキ 青物 キスも釣れた
大学4年の卒業前 就職が田舎に決まって東京から 愛媛の松山に帰省する時 
弁天埠頭から出港して すぐに めちゃくちゃでかく見えた 港大橋は 今も忘れられません。

🔻の5が、港大橋  

東京の大学になってからも
愛媛の松山に帰省するときは 

度々 
東京から大阪は新幹線もしくは東海道線
大阪からは 弁天埠頭から関西汽船で
松山高浜港へのルートでした。
 
途中京都の大学の友人アパートに寄宿したから寄り道しながらの帰省でした。
    
あっ そうそう 大学4年の頃は
付き合っていた 
今の嫁さんの大阪の実家に 連泊して
奈良や京都に行ったり寿司屋巡りしてから、弁天埠頭から関西汽船で帰省しました


 
逆に 松山高浜港 夜発で 
弁天埠頭に翌朝到着便の時
手前の神戸港付近では 
防波堤で、釣り人が、
たくさん竿を出していたのは
よく見たのだが 

その時は釣りしたいとは
全く思わなかった(笑)
なんでやろ❔

神戸港を、出て 弁天埠頭の手前 
安治川口に入る時 大関門があるのだが、

当時は 
陸地側の赤灯台でも
釣りできたようで

夏休みに帰省した時は 
釣り人が、びっしり。
満員👀‼️ 、 
ウニみたいに釣竿びっしり。

今思えば 、サビキでアジ釣りしとったんやな✨
当時は大関門より内側には 
いろいろ 古い小さな防波堤があったようだ(今は撤去されてる)

大関門🔻 
赤灯台は陸地で、 
当時は立ち入り禁止ではなかったような❔知らんけど(笑)

白灯台側の
大阪万博会場の夢洲は
1975年頃は存在していたのかな❔ 
(1970年が、大阪万博だった) 

大関門は
赤灯台のイメージしかなかったわ(笑)
(昔の大関門とは違うかも)
それでは
大阪港エリアの地図の遍歴を
みてみましょう。
 


舞洲 夢洲 咲洲 影も形もありません。昭和7年の地図より。🔻
☝️ぐぐっと 岬のように大阪港を囲むように 夢洲の一部の防波堤矢板    と  咲洲防波堤矢板(コスモスクウェア部分)の基本的ラインが見えているな。


大関門がはっきりと。
どうも 現在の大関門と比較すると  
白灯台の向きが少し違うな。現在の白灯台は少し沖にあるな。夢洲の一部になっている。


  咲洲(白い部分)は
半分位埋め立て中


☝️咲洲 ATCはっきりと。
昭和60年頃 コスモスクウェア側は
フリーで、車付けで釣りができた🎵 
磯竿 のちょいブッコミ キス仕掛けで、22センチ位のキスが、よく釣れた。 大関門の赤灯台もなんか知らんけど 陸地からの釣り人たくさんいたな🎵(笑)


昭和55年 
夢洲は東側の防波堤枠だけあるな。
今の夢洲の東側ラインとは微妙に違いがあるが このあたりの古い構造物の防波堤でエピ撒きしたな。ドカンとか。矢沢渡船利用で。
 
白灯台の変則防波堤の一部が、ドカンだったのかも❔
(
大関門は
撤去工事もあったりしたから認識間違いあるかもです。)
  
咲洲は(真ん中の白い埋め立て地) 
大まかには
埋め立て ほぼてきてるな。   
関電赤灯台 知らん間にあるな(笑)





右の帆掛け船は木津川 
左の帆掛け船は安治川



大阪港今昔ネタは続きます。