小学校 中学校と度々不登校だった私。


気持ちばかり先走って、

そのまま泣くだけ。


今よりももっと、

話をすることが苦手で


気持ちを言葉にする

感情に名前をつけるということが苦手でした。



ただただ泣くことしかできない


伝えようとするけど言葉にできない


それさえも苦しい


悔しい


そしてまたその感情でも泣く。


という状態でした。




今思うと

まるででっかい赤ちゃん立ち上がる



話しても言葉のチョイスも順番もめちゃくちゃで理解するのに時間がかかるんですから凄い大変だったと思います。





お互いにもどかしい思いもあったと思います



そんな時、

母がしてくれたことを今でも覚えています。



それは



ただただ抱きしめること。


無言のハグ♡


子供ながらに愛情感じ

また涙汗うさぎ



これが私の記憶には1番のこっていて


味方でいてくれてるんだ』


『何も出来ないのに、怒ってないんだ』


嫌ってるわけじゃなかったのかもって



安心した記憶があります。





あの頃の私の心のバケツには🪣

よく穴が空いていました。


2個も3個も


自分で塞ぐには年齢も幼いし

空くスピードと塞ぐスピードが追いつかなかった



子供というのは残酷で

言葉がストレート



無言だったり。笑わらなかったりして

からかわれたこともあれば


空気が読めずいきなり話したり


スポーツもあまりできなかったり



馬鹿にされる要因が沢山あったんですね



人に暴言を吐くとかそういう事はなかったものの



NOとも言わない性格だったので


よくトイレ掃除をさせられたり

イベントでみんながやりたがらないような事をしていました


んで修学旅行なんかでもぼっちでした



『変わってるね』なんていう人はまだ優しくて


『頭おかしいんだね』って言われることもあったりで


その都度、心に穴が。



隠れて泣いてた時もあったんですがね


さすが母親


1人にするべき時と


深刻で助けが必要な時を分かってくれていました。




深刻な時は無言のハグハート



バケツの穴は母からの愛情のおかげで埋められていました



だからこそ、周りから理解を得られないからと

周りを嫌ったりはしなかった

ひねくれ者にはならなかったんだと思います

(自分でいうのもなんですがニコニコ




よく素直だね 真っ直ぐだねと褒めていただきます




言われる度に母のおかげだと感じでいます

そして感謝していますラブラブ



hima🌻です
最後まで読んでいただき、ありがとうございました!少しでも参考になれば幸いです
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