
今私は78歳、とっくに寡婦になっていますが、夫婦が元気でこれまで過ごしてきて、妻が私ぐらいになると夫が80代前半ぐらいになり、病気がちになる場合が多くなります。最近友人の老々介護の愚痴を聞くことが多くなりました。
また私より一回り年下の友人は団塊の世代、90代の姑との同居が長く旅行もできないと嘆きます。
近所ではバツイチの60代の息子が90代の母親の世話をしている家が2軒あります。
私の周囲には介護で疲れている人が実に大勢います。
私も義母や夫の介護をしたときはありましたが、それは50歳ぐらいの時、体力があったので何とか乗り切りました。今は老老介護の自信がありません。最近つくづく思うのは人はなぜこんなに長生きするようになったのだろう、寿命を自分で決めることは出来ないけれど、私は90過ぎまで生きなくてもいいよということです。
最近近所の89歳の女性から「mimiさん安楽死についてどう思います?」と聞かれて答えに詰まりました。「まだきちんと考えたことはありません」と答えましたが、彼女も長寿を喜ばしいこととは思っていないのでしょう。でも90近い人と安楽死について話す勇気は私にはありませんでした。
話は少しそれますが、最近上野千鶴子の「文学を社会学する」という本を読みました。そこでは有吉佐和子の「恍惚の人」と佐江衆一の「黄落」が取り上げられて、老人の介護が主として長男の妻の役割の時代のことが書かれていました。
今は長男の妻の役割などと言ってはいられない、つい最近新聞の広告で「迫りくる息子介護の時代」という本が出ているのを知りました。寿命が延びすぎて、介護が膨大な時間と労力を要する時代、この先どうなるのだろうと思うこの頃です。
かくいう私、「一日でも長く自分の足で歩いてトイレに行くのだ」とか言いながらウォーキングに励んでいるだけです。この問題について考えの整理ができないままの文になりました。