
私が初めて「三四郎」を読んだのは小学校の6年ごろか、中学の始めだったと思います。何度も書きますが、戦後間もない頃ろくな本がなくて家にあった全集を読んでいたのです。
三四郎が九州から上京する途中でのこと、名古屋で偶然同じ列車に乗り合わせた女と一緒に宿に泊まらなければならなかった時、宿の者が布団を一枚しか敷かないので、シーツをくるくる巻いて境界線を作り、そこからはみ出ないようにして寝ます。
翌朝女は別れ際に「あなたは度胸の無い人だ」と言うのですが、当時の私はそれがどういうことなのかさっぱりわかりませんでした。
そしてもう一つ驚いたこと、汽車で乗り合わせた(その時はまだ誰だかわからなかった)広田先生が、「日本もこれからだんだん発展するでしょう」という三四郎に向かって「滅びるね」と答える所。
戦時中「日本が負ける」というようなことを口走ったら、子供でも容赦なく殴られたものでした。そういう時代を見てきた直後にこんな言葉を読んだので、しかもその言葉通りに日本は滅びたのですから、それを平気で予言する文を書いた漱石にとても驚いたのでした。
小説の中では文明批評のようなことも長々と書かれる所があって、その辺は多分私はいい加減に読んだのでしょう。小説を読み終えて残ったのは、「ストレイシープ」「ヘリオトロープ」「われは我が咎を知る、我が罪は常に我が前にあり」などという言葉だけでした。
この言葉は全部美禰子のいう言葉なのですが。
後に美禰子のモデルは平塚てうだと知りました。そしてさらにその後、青鞜の平塚らいてうは森田草平と心中未遂事件を起こし、そのいきさつは森田草平の「煤煙」に書かれていると知って、女性週刊誌のゴシップ記事でも読むような感じで「煤煙」を読んだことがありました。
森田草平は漱石の弟子なので、漱石と平塚らいてうは意外に近いところにいたのでしょうか。
最後にこれは小説の三四郎とは関係ない話ですが、私の日課のウォーキングで時々出会う、やんちゃで可愛い柴犬がいて、ある時その飼い主に「可愛いわんちゃんですね、なんていう名前ですか」と聞いたところ、その答えが三四郎でした。
その時私はふと「小川三四郎」とつぶやき、飼い主はすかさず「姿三四郎」と返してきました。確かに「姿」の方が有名といえる、それにこの元気な犬は「姿」の方が似合う、以来私はその犬に会うと「三四郎」と呼びかけ犬は嬉しそうにしっぽを振るのです。
今日の写真は明治41年に連載された「三四郎」の挿絵に書かれた美禰子です。