
その投稿のきっかけは先月この新聞の歌壇に載った
「百グラムの肉を買いきてひとり食む八十五歳バースデイの宵」
という歌を選者が「リアルな誕生日の食事がこの上なく淋しい」と評したことでした。
投稿した58歳の女性は、自分は違うように受け取ったとし、
85歳で100グラムの肉を食べきることができる、火を使って調理ができる、自分の誕生日のために行動しようとする意欲や体力がある、ということはすばらしい。またご馳走が寿司や赤飯でなく肉であるところに生に対するたくましさが感じ取れるといっています。
投稿者は肉を焼いて自身の誕生日を祝う女性の姿に、自分の力で心豊かに晩年をすごす女性を想像したようです。
この記事を読んで私は9年後の自分(85歳)を想像しました。私がその歳まで生きていて、認知症、癌、脳血管障害とも無縁でいられたら、私もこんなふうに誕生日を一人で祝うのではないかと思いました。私の場合は更にワインのボトルも食卓にあるでしょう。
私は一人暮らし暦25年になりますが、それほど淋しいとは思っていません。40年前私は6人家族の主婦でしたが、当時の方が淋しさやストレスを感じるときが多かったと思います。寂しさは周囲の人間の数とあまり関係なさそうです。
また寂しさにもいろいろあるでしょう。死んでしまいたいような寂しさも心安らかな寂しさもあります。心安らかな寂しさは快適である場合もあって、私は好きです。
自分のことは自分でするよう心がけながら、あと何年あるかわかりませんが生きていきたいと思います。