私が、小学三年生に進級する年の春、
父の仕事の転勤で、
転校することになりました。
転校先は、熊本県熊本市。
今から四十年以上も前の熊本は、
誰もが皆、熊本弁だけで会話をし、
どこからと漂ってくる、
馴染みのない熊本ラーメンの香り、
東京都・早稲田界隈で生まれ育った、
幼い私には、まさに異国の地でした。
それでも、家の近所には、
趣がある水前寺公園、少し歩けば、
熊本城、名水百選に指定される白川、
市内を走る路面電車、
そんな風情溢れる街並みと、
都会から転校してきた自分を、
優しく受け入れてくれた級友や、
出会っていく人たちが、
少しずつ、だいすきになりました。
その年の秋、小学校の運動会のことです。
校門付近や学校内には、屋台が出たり、
お昼休みは、校庭や体育館など、
見学に来てくれた家族と一緒に、
お弁当を食べられるのは驚きでした。
(東京の小学校では、運動会の昼休み、
家族と離れ、持参したお弁当を普段通り、
教室の机で、級友たちと食べるからです)
もっと驚いたのは、二つ上・五年生の種目、
「飴食い競争」でした。
当時の運動会の「●●競争」といえば、
ひもに吊るされた菓子パンを、
手を使わずに口にくわえ、
ゴールを目指して走りぬける、
「パン食い競争」でしたので、
ひもに吊るされるのが飴玉なら、
なおさら難しいのでは、
と思いながら見学していると・・・
コースには、二つのポイントがあり、
一つ目のポイントまで駆け寄ると、
設置された水入りの洗面器に顔を付け、
二つ目のポイントで、
白い粉の中に顔を突っ込み、
粉にまぶされた、手のひらサイズほどの、
餅のようなものを口にくわえ、
ゴールを目指すという種目でした。
当然ゴールした五年生たちの顔は、
真っ白の粉まみれで、
会場全体が爆笑の渦となる、
見どころの一つだったのです。
私は密かに、再来年の運動会が楽しみに
思っていましたが、
五年生になった初夏、
父の再びの転勤で、東京に転校となり、
級友たちとの飴食い競争は、
残念ながら実現しませんでした。
この、飴食い競争で使用されていた、
餅のようなやわらかいものが、
「朝鮮飴」という名前を、
後になって知りました。
餅米、水飴、砂糖を、
独自の製法でこねあわせ、
片栗粉でまぶした、
上品な甘さともちもちとした食感が
特徴の求肥飴の一種とされる、
熊本県の銘菓だそうです。
安土桃山時代から作られていたそうで、
当初は長生飴、肥後飴と呼ばれたこの飴を、
滋養豊かで日持ちすることから、
熊本城を築いた肥後熊本初代藩主、
加藤清正が朝鮮出兵の際に、
兵士たちに携行させたそうです。
そして、兵士たちの英気を養うのに
大いに役立ったことから、
「朝鮮飴」と呼ばれるようになったと
言われています。
四十年以上の月日を経て、
韓流ブームを迎え、
韓国、朝鮮の文化に強い関心を
抱き始めた私は、この朝鮮飴のことを
思い出しました。
熊本市から上京し、
早稲田界隈に一人暮らしをしていた
仕事仲間・・・
私の生い立ちとは真逆の仲間に、
帰省の際に、無理を言って
買ってきていただきました。
熊本で食べることのできなかった、
宗家「老舗 園田屋」の朝鮮飴です。
本当に上品な甘さで、
もちもちとした食感は、
趣があって風情溢れる、
優しい、熊本の味を感じました。

