NHKの大河ドラマ、義経が終わりました。
まだ、総集編が放送される様ではありますが・・・。
全部見ていた訳ではないので、感想とかは特に無いですが、
なんか、義経ブームみたいな感じが、世間的にはあるのでしょうか?

だいぶ前ですが、知人が遊びに来た時に、
白河へラーメンを食べに行った帰りに、
金売り吉次のお墓に行った事がありました。
たまたま場所を記憶していたので案内したのですが、
その時は、いったい誰のことなのか、良く理解していませんでした。
ようやく、どういった人だったのか、分かったと言った次第。
が、なぜか、他にも吉次の墓と言われるところが、数ヶ所あるらしい。
まぁ、義経関係の話となれば、あちらこちらに散らばっている様ですし・・・。
記憶に間違いが無ければ、千葉の犬吠崎の由来も、義経関係ではなかったかと。
静御前の墓も、各地に点在していますし、弁慶にまつわる話も・・・。

今年注目を浴びたのは、義経北行説でしょうか。
実は、平泉から密かに脱出し、さらに北を目指して、蝦夷へ渡ったというもの。
岩手から青森にかけての太平洋側には、数々の足跡が残されています。
NHKでも、最後にその事について、ほんの少しだけ触れていました。
平泉から江刺・遠野・宮古を経て、海岸沿いを八戸まで上り、
青森から五所川原・十三湖・津軽半島の竜飛崎(三厩港)まで行き、
そこから蝦夷の地へ渡ったとされており、各地に伝説が残っています。
自分が毎年訪ねる遠野にも、勿論ありました。
一番ポピュラーなのが、弁慶が重ねたと言われる、続き石でしょうか。
愛馬を祀ったと言われる駒形神社もありますし、
義経一行がお風呂に入ったと言う、風呂家もあります。
また、立ち寄ったとされる土地に、金が採れるところがかなりあります。
ここでも、吉次の名前が出てきます。
義経一行が都から平泉に戻る際、吉次の船で、
海から行ったという説もあります。
それ程に、吉次は義経に肩入れしていたと言う事でしょうか。

義経が生きていて・・・と言う話は、
自分が子供の頃から聞いていた記憶があります。
それは、蝦夷から大陸に渡り、チンギス・ハーンになったと言うもの。
突拍子も無い、単なる昔話として聞いていましたが、
生きて、蝦夷までは行ったのではなかろうか・・・。
と言う思いがしてきたきょうこの頃です。

義経を討ったとされる、奥州藤原氏四代泰衡ですが、
実は、あれは、鎌倉を欺く大芝居だった?
わざと大げさに攻めて見せて、その隙に義経を逃がしたのではと・・・。
そして、鎌倉に敵わないと見るや、館に火をかけて逃走。
秋田から青森へ向かう途中、郎党の裏切りによって討死。
奥州藤原氏は滅亡してしまいました。
泰衡はどこに向かっていたのかと言えば、それは蝦夷地だった。
そんな話も出ております。
つまり、義経と泰衡は、蝦夷で再会する筈だったのでは・・・。
叶っていれば、蝦夷に新しい理想郷を作っていたのでしょうか。

独り言です・・・。