「1(かい)やってできなければ、10(かい)やればいい。10(かい)やってできなければ100(かい)やればいい」

 

 (わたし)(しょう)(がく)(せい)のとき、(けい)(さん)(にが)()だった。(いっ)(しょう)(けん)(めい)(れん)(しゅう)しても()()(よう)でなかなか(そく)()()がらず、(けい)(さん)(そく)()テストではクラスで(だん)トツの(さい)()()だった。

 それが(くや)しくて、()きながら(いえ)(なん)()(はは)(おや)()(かん)(はか)ってもらい(れん)(しゅう)するのだが、(まった)(はや)くなる()(はい)がなかった。そんな(わたし)()(ちち)(こえ)をかけてくれたのが(うえ)()いた(こと)()だった。この(こと)()にはまだ(つづ)きがある。

 

 「100(かい)やってできなければ1000(かい)、そうしていつかできるようになった(とき)、お(まえ)(だれ)よりもそのことが理解(りかい)できるようになっているはずだよ。」

 

 (ちち)(こと)()(うれ)しくて(わたし)(れん)(しゅう)(つづ)けた。いくらやっても(ほか)()のように(そく)()()がらなかったが、(ちち)()ったように、その(けい)(さん)(もん)(だい)()()(ふか)()(かい)することができた。(もと)(もと)(わたし)()(にん)(きそ)おうと(おも)っていたのではなく、()(ぶん)ができないことが(くや)しかっただけなのでそれで(じゅう)(ぶん)だった。

 10(すう)(ねん)()―、(わたし)(きょう)(いん)(さい)(よう)()(けん)()けていた。その(もん)(だい)(なか)でたけのこの(はなし)があった。「たけのこは3~4(ねん)くらい()(めん)(なか)にいて、(まった)()びないように()える()()があるが、()(はじ)めると(いっ)()(せい)(ちょう)していく。」この(はなし)()んで(わたし)は、「たけのこはまるで()(ぶん)のようだ」と(おも)った。

 (しょう)(がく)(せい)のとき、()()(よう)(ぜん)(ぜん)()びなかった(わたし)。でも(ちち)(こと)()(はげ)まされて()(みち)()(りょく)()(かさ)ねた(わたし)。あの(とき)はまるで()びていないように()えたけれど、それが(いま)はこうして(きょう)(いん)()()(そん)(ざい)にまで(せい)(ちょう)したのだと(かん)(がい)(ぶか)(かん)じた。

 その()(きょう)(いん)として(さい)(よう)されて、(さい)(しょ)(たん)(にん)()ったときの(がっ)(きゅう)(つう)(しん)のタイトルは、(とう)(ぜん)「たけのこ」にした。()(ぶん)(しょう)(ちょう)(てき)なものであることも()(ゆう)(ひと)つだったが、(なに)より(せい)()たちにたけのこの(せい)(ちょう)(はなし)をしたいというメッセージでもあった。(きみ)たち(せい)(ちょう)していないように()えるだけだよと。

 (きょう)(いん)(せい)(かつ)14年、(いろ)(いろ)(せい)()たちと出会った。その(なか)には、「(おれ)はバカだからいくらやっても()()だよ。」、「(わたし)(べん)(きょう)(さい)(のう)ないから」というあきらめの(こと)()をつぶやく()もいた。そんな(せい)()たちに(ぼく)(かなら)ず、

 

 「1(かい)やってできなければ、10(かい)やればいい。10(かい)やってできなければ100(かい)やればいい。」

 「()びてないように()えるだけで、(わたし)()うとおりやったらちゃんとこれから()びるから。」

 「(うそ)だと(おも)うって?(せん)(せい)(べん)(きょう)できない()だったんだぜ。」

 

といった(こえ)をかけるようにしている。

 

できないと(おも)っている(せい)()たち、(きみ)たちはできない()なのではなく、『たけのこ』なだけなのだよ。