私の実家は自動車整備工場を営んでいました。父は80歳を超えていますので、もうお客さんは取らず、最低限の自分達の車の整備ぐらいしか行っていませんでした。

昨年、父が倒れて右半身が麻痺になり、2ヶ月ほど入院しました。幸いにも、リハビリの甲斐があり今では身の回りを動くくらいなら杖なしで歩けるようになっています。実家は段差だらけなので、車椅子生活になったらどうしようかと家族会議をしました。

歩けるようになったものの、車の運転は難しいので、事故を心配した母はすぐに父の免許証を返納しました。そうなると、自宅横にある工場は全く使う用途のないただの鉄の塊なのです。

常々、その工場のたたみ方は私も心配していたことでした。父母がいなくなった後、更地にするのは私達兄妹しかいないので、それは私達に負の遺産を残すことになるのです。

また、父母の住んでいるところは風の強い地域ですので、今までもシャッターが壊れたとか、屋根が飛びそうだとか、何度も修繕をして、その度に多額の費用がかかってきました。今後、また何かあっても修理する理由がないのに、お金がかかるかもしれません。

とはいえ、解体には多額のお金がかかります。高齢の両親がその金額を捻出するのは簡単なことではありませんでしたが、コロナ禍で解体業の方々も仕事がない中、話がトントンと進み、先日工場を解体したと連絡がありました。


右手前にいるのが父。


すごいですよね…。


そして、現在。


草が生えるからと、基礎は残したままで、ガラーンとしています。

これを見て、私は「スッキリしたねー‼︎」と思いましたが、両親と兄は「寂しくなった」と。建物が大きかったので、周りがよく見えすぎるそうです^^;

確かに、工場は父の生きた証であり、私達家族をこの工場で養ってくれたのです。父としては、自分の人生が無くなったようで、なんとも言えないような気持ちになったことだろうと思います。

とはいえ、大きな鉄の塊を毎日目にしているのと、「やり終えた」という気持ちで暮らすのとでは、両親の心のあり様も変わっていくのではないかと思います。

また、すぐ横に大きな入れ物があったので、母は何でも工場に突っ込んでいました。なので、工場を畳むにあたってたくさんのものも処分したようです。

私はやっぱり今回の整理はして良かったと思います。これは、思い上がりかもしれませんが、最近は私は実家に帰るたびに母に断捨離を促していたんですよね。母に許可を取って、いらないものはすぐにリサイクルショップに持ち込んだり、ゴミは車に積んで私が家に持ち帰って処分をしてきました。

その後、母は「洋服を引き取ってもらった」と私に報告してくれたりもしていました。

まだまだ実家に物が多いけれど、父母の安全のためにも、モノを減らして快適に生活してもらいたいと思っています。

ちなみに、私は解体費用の半額を負担しました。残りは兄が出さないかなぁーと期待しつつ、兄に強要もできないので、連絡もしていませんが。ただ、兄は実家の近くに住み、いつも両親を気にかけてくれているんですよね。それがとてもありがたいので、遠くに住んでいる私はお金だけでも出さないとと思っています。