高校中学と、いろいろあって、父親を心底軽蔑していた私ですが。

今になって思う。今日までなんの不自由なく育ってこられて、

大学にまでいかせてもらえたのは、

他でもない父が働いてきたからである。

喰って寝るだけのクソガキが文句たれるなんてとんでもないことでした。

さらに母とも、いさかいや、相互不理解などあって、一時期は嫌ったり好いたりの連続でしたが、

私の知る限りあれいじょうの母親はいない。そう思います。

たしかに家のことで、一時期はやばいくらい落ちていました。

わけのわからない焦燥感や恐怖におそわれ、

常に自分の身を痛めつけていなければ、正気を保っていられませんでした。

足とか腕とかわき腹とか、未だに汚いです。

しかしそれは私が勝手にやったことであり、

感受性が豊かな時期の私の影響されまくりな精神がやったことであり、

今となっては誰を憎む気持ちも、恨む気持ちもなくなりました。

頭痛ですら、あ、久しぶりじゃん、おまえ最近どうよ、ってかんじで有効的に付き合えるようになりました。

兄ですら、彼も自分自身のことで精一杯だったのだと、

むしろ我が家のいさかいにまきこまれなくてよかったねとそう思いました。

無駄に繊細なところはよく似ているのは兄弟だから痛いほどわかるし、

違うところは正反対だけれど、なんでか不安定なところはそっくりな兄弟ですから、

彼は日本語もしゃべれないし、唇も分厚くていつもものを食べこぼすし、

いいんです。

周りの人も、私に関心あるひとも、無関心な人も、私は本当に恵まれていたと思いました。

いかに自分が甘えていたことか。

ロックというものは、派手な外見とは裏腹に、その実とても内面的である。

フォークソングなんて意外と外交的よな。素朴ななりで。

私がUKロックがすきなのは、湿っぽくて、メロディアスで、寂しげで、そこはかとなくただよう終わってる感があるからだと思う。

何がいいたいかというと、私にとってのロックというものは、

一人で自分の内にこもって、自分の内面と照らし合わせて共感を得るものであって、

だから心を抉るような、そんな詩や曲じゃなければはまれない。

間違っても大勢で、騒ぎながら、語るものではないようである。

そもそもつるむのって性に合わない。

馬鹿たかいテンションもあわないし、軽いノリって嫌いだ。もちろんそういうのが好きな場合もあるけど。

私は、つきの3分の1はカレーをたべるし、ご飯は毎日食べないと駄目だし、

映画館にいけば必ずメロンソーダを頼む。

友達なら長年つきあった少人数しかいらないし、自分に本当に合う人としか駄目だけど、そういう人はずっと好きだし仲良くしたいと思う。ていうか多いと気が使えない私は気がまわらないから全部駄目にしそうでこわい。

好きなものに100パーセント掛かりっきりでいたい。

基本的に、自分が好きだと思ったものについては、偏執的にまで求める傾向があるので、

とてもうざいと思う。

でも大勢で、とか広く浅くとか無理。

サークルとかむいてないじゃん自分。ちょっと最初に張り切りすぎた!!!!

ていうかきょうの文章、痛い子だな。つかれているのかもしれない。

はんせいするよ、くにえ。