侵略の意図が隠された、大東亜共栄圏構想を日本の経済界
は資源小国が生き残る道と諸手を上げ歓迎した。
軍部も東アジアの支配権を狙う方針と、両者の思惑が合致
し日本の国情は戦争傾斜の下り坂を転がり始めた。
(…ほれ、日本の軍部にも、驕りがあったんじゃな…)
日本政府の大東亜共栄圏構想を大陸侵略に向けた環境作り
と警戒した、米・英との対立が日増しに激しさを深め、軍事
衝突が懸念される事態に緊張は高まった。
牙を剥いた侵略の構図を露に軍部は勢い付いた。
日本軍部は昭和15年、東南アジアの資源獲得を目論み北
部仏領インドシナ(北部ベトナム)に進攻した。
(…あの、室町時代より、日本は戦国の世だったんか…)
加え日本の軍部政府は、昭和15年9月日独伊の三国同盟
を締結(昭和18年にイタリアが離脱、昭和20年5月ドイ
ツが降伏し崩壊)し、米・英との関係悪化は決定的だった。
(…もう、武器を持ち、資源を求め侵略したのだ…)
更に日本軍は昭和16年の初頭に南部仏領インドシナ(南
部ベトナム)を軍事的に支配下に置いた。
これらの日本軍の暴虐に、米国は苛立ちを露にし連続し日
本軍が侵した、軍事侵略は容認出来ないと発表した。
日本を軍事的野蛮と位置付けた米国は、鉄鋼製品及び石油
類の輸出禁止を含む、厳しい経済的制裁の実施を発動した。
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