昭和19(1944)年3月15日、竹中らはインド東部の都市、インパール攻略のため、チンドウィン川を渡った。その先に、2千メートル級のアラカン山系がそびえていた。
連合軍の補給路遮断が目的だったビルマ戦線。
戦局打開を狙ったインパール作戦では英領インドへの進攻を図ったが、当初から弾薬や食料の補給が困難だと反対する声が多かった。
1日に必要な糧の10分の1程度の補給能力しかなく、道なき道が続く山岳地帯で地形的にも補給は難しかった。
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ビルマへの敗走路には力尽きた多くの将兵の屍(しかばね)が積もり「靖国街道」と呼ばれた。180人いた竹中の中隊は、50人を切った。
(msn産経ニュース)
今日は8月15日なので、戦争のニュースが沢山放送されたり書かれていますが、msn産経ニュースにインパール作戦について書いてあったのでチョットひと事。
インパール作戦は大変だったようですが、戦争を始める前からちゃんとした戦略があれば、あのような無理な作戦を実行しなくても良かったわけですね。
海軍が真珠湾港攻撃をやってしまったから、大変なことになってしまったわけですね。
インパール作戦も援蒋ルートを遮断するために行った作戦なわけですよね、真珠湾攻撃より援蒋ルートを遮断する事を優先すれば、戦争直後に援蒋ルートを断つことができたでしょう。
後から考えるから、言えることだと思うかもしれませんが、戦争前だって冷静に考え作戦を立てれば当然考えついたことでしょうね。
米国が戦争に参戦する前に援蒋ルートを遮断すれば、問題ないわけですからね。
日本が真珠湾攻撃をしなければ、米国が参戦するのに半年以上はかかったでしょう。
その間に、インド洋を制圧してしまえば、援蒋ルートをは遮断できたわけですね。
そして、さっさとインドを独立させれば、イギリスはもうインド洋には出てこれなくなるし、当時はそれが可能だったでしょう。
完全に作戦ミス、戦略ミスでしょう。
もしインド洋からイギリスを駆逐すれば、中東までいけますよね。
中東からイギリスを追い出せば、ドイツからの書類などを手に入れることの容易いですからね。
そうなると、イギリスはドイツに負けることになった可能性が有りますね。
そこまで行ったら米国が参戦できなくなる可能性も会ったわけですからね。
完全な、軍部の、特に海軍の作戦ミスが負け戦になったと言えますね。
なにせ、戦争をはじめて数ヶ月でシンガポールやインドネシアまで制圧したわけだから、もし真珠湾攻撃をしなければ、米国は参戦するまでにもっと時間を要したわけで、ミッドウェーで空母と熟練パイロットを失うことも無かったわけですね。
そして、一年もしないでインド洋の制圧はできたでしょう。
(海軍と外務省は勝つ気があたのかさえ怪しい)