能登震災JOCA災害ボランティア活動報告① | 阿部貴弘 20代の自分をとり戻す 理想のカラダのつくり方

能登震災JOCA災害ボランティア活動報告①

阿部貴弘です。

 

 


2024年1月20日~28日まで

 

石川県輪島市で災害ボランティアとして

 

活動してきました。



ベースキャンプ前の住宅

 

私が担当した支援業務は、輪島市立河井小学校

 

輪島中学校、輪島高校、JAわじまでの避難所の


運営サポートでした。

 


1月20日に北陸新幹線で金沢駅まで移動、


そこから在来線に乗り換えて4駅ほどで下車


ホテルに到着したのは、21時過ぎ

 

次の日、早朝5時半に集合する佛子園までは


ホテルから歩いて20分ほど


その日、福岡県からもボランティアの方が


到着すると移動中にお聞きしたのでロビーで待つ


22時半頃、福岡県からのボランティアの方が到着


青年海外協力隊の大先輩の女性がお二人と


ボリビアや青年海外協力隊のあるある話に花が咲く


同じ東京からの看護師さんは、能登町に


福岡からの国家資格を持つ災害ボランティアの


エキスパートの方は、同じ輪島市へ派遣とのこと


次の日も早いので、一段落したところで部屋へ戻る


仕事や色々な予定を調整するために、そこから


パソコンとスマホで作業をしていたら


すっかり朝に


部屋のお風呂に熱いお湯を溜めて、眠気を取って


再びロビーへ


集合場所には20分前の5時10分到着するよう


JOCA駒ヶ根の災害支援本部スタッフより指示が


あったが、21日早朝から土砂降りだった


前日から、石川県のタクシー会社へ5社ほど


連絡していたが、コロナ禍で早朝はやらなくなった


という事で、車両を確保出来なかった


食糧、寝袋、着替え、災害時用の備品で15kg程の


消防団の大バッグを担いで、土砂降りの大雨の中

 

ライトを頼りに三人で歩いて向かいました。


途中、あまりの大雨にあたったからかスマホが


突如、落ちてしまった。暗闇の中、迷いながらも


なんとか集合場所と思われる敷地に到着した。


まだ、5時頃だったからか、真っ暗でスタッフが


来ていなかった。


軒下で、雨宿りしていても、一向にスタッフが


来ないので、緊急連絡先に電話すると、敷地の奥の


裏手の方が集合場所になっているとの事だった


前日に災害支援本部から送られてきたPDFは


ざっくり過ぎて、何処が集合場所なのか


分からない仕様になっていた。


急いで、敷地をぐるりと回って、集合場所へ。


5時25分には、到着してネームカードを記入。


雄谷理事長のお話の後に、それぞれ車に乗り込み


いよいよ出発。


多くの有志のボランティアの方々と共に、


ハイエースと給水車で隊列を組んで

 

奥能登へ出発しました。

 

途中、バケツをひっくり返したような大雨で


ワイパーをMAXで動かしても、前が見えにくい


悪天候でした。


徐々に町中から山道になってきた時には、大渋滞に。

 

高速を使える区間が限られていて、


またまだ道路が崩れている箇所が多く道に制限が。

 

片側交互通行や警察官の手動の個所などを経て


支援に向かう各自治体公用車、警察、自衛隊、


給水車、支援物資を積んだトラックで渋滞の中、


山間のガタガタ道をゆっくりと進んでいきました。

 

途中の休憩個所からは、水道が止まっていて、


トイレには、大きなバケツと柄杓があって

 

用を足した後は、それを利用して流すように


手書きの案内がありました。



穴水の休憩ポイント 崩れたままのレンガ


 

途中の穴水の道の駅のような休憩ポイントで、


輪島市組と能登町組がお別れに。

 

お互いの無事と健闘を祈ってそれぞれの車へ。

 


昼前ころに、ようやく輪島市へ到着しました。

 

 


カブレット輪島の隣の住宅





つづく