先月の
11月28日(金)だったのですね…。

菅原文太さんが
お亡くなりになったのは。。。


なんと
私の誕生日に。。。

それを知って…
何だか…複雑な気持ちでした。



私は…
昭和48年5月25日に
『コーヒーショップで』で
デビューし…

翌年の昭和49年に
TBSの90分ドラマ
【真夜中のあいさつ】で
テレビドラマデビュー

そして
昭和50年に
【トラック野郎】で
映画デビューをした。


何でも
初めての挑戦には
人一倍、勇気と やる気を
必要とする私…。

そう!
要は
決心するまでに
時間がかかるタイプなの!!


決めちゃえば
スタートと同時に
その時のフルパワーを発揮するんだけど…。


この
1週間の間…
【Hit Song JAPAN昭和☆同窓会コンサート】の最中に
沢山のインタビューを受けた!!


インタビュアーによっては
何か、色気のある
オモシロイ話を
引き出せないかと…

一生懸命に、誘い水のような
言葉の誘導も感じられた!!

人が亡くなった…
こんなタイミングにも
である。。。



あの映画の撮影期間は

私は…正直…
まだまだ、忙しい時期だった。

だから
映画では、新人なのに
かなりタイトなスケジュールで
撮影に参加させていただいたの。


何しろ…40年近く前のこと…
記憶も
曖昧になっている部分も多い(汗)


必死に思い出しながら…
同窓会コンサートの合間に
インタビューには答えたけれど…


なかなか
それ以上の
思い出が出てこない(汗)


実は同じように

夕刊三重のコラムの執筆時にも
苦労していた。。。


読んでみてほしい。
夕刊三重の原稿を↓



『昭和50年
菅原文太さんの代表作のひとつ「トラック野郎」シリーズに出演』


『 このトラック野郎は、前年に第一作が上映されて8億円の興行成績を挙げ、その年の邦画№1に。ならば第二弾をと「トラック野郎・爆走一番星」が制作されることになりました。そのマドンナ役に抜擢されたのが私。鈴木則文監督のたっての希望だったようです(笑)
 前作以上の人気を、と東映も力を入れていました。お正月映画でしたしね。文太さん演じる桃次郎が私の演じる姫路のドライブインのアルバイト文学女子大生に恋をし太宰治全集を買い込むエピソードも。最後は、お決まりの、桃次郎の恋は実らずでしたけれど。
 当時の雑誌を見ると、スクリーンの中では凄まじい迫力のあるアクションを見せる文太さんが、スタジオの中では、私を相手にモジモジしていたそう。いつも得意の冗談も出ず、スタッフから、からかわれていたみたいですよ。私は、文太さんとはこの時初めてお会いしたのですが、演劇論を得々と語ってくださったことが、とても印象に残っています。
 トラック野郎は、派手なトラックも魅力の一つ。この時は11トントラックにイルミネーションなどの改装代込みで1600万円。もちろん、私はこのトラックの助手席に乗るシーンがありました。ものすごく席が高い位置にあるから、視界が全く違って…高速ではガードレールが見えず怖いくらい。これは、マドンナ役ならではの特権ですよね。
 ただね、これは後から知ったのですが…。トラック野郎のマドンナ役の依頼があったのと同じタイミングで、「男はつらいよ」のマドンナ役の依頼もあったらしいの。当時の私のマネジャーが、菅原文太さんの大ファンだったから、迷わずトラック野郎を取って寅さんを断ったんですって。本人から、最近になって「あの時の判断は良かったのか」と、まだ悩んでいる事を告白されました(笑)
 私はって? そんな今更…。それに、どちらに決まったとしても、頑張るのみですよねぇ。』



この時は

とても親しくしていただいていたから…
撮影現場でも
愛川欽也さんとばかり
お話していたし…


雑雑とした
ドライブインの中での撮影時だったのに…

大勢いた
出演者も
スタッフも

田中邦衛さんの
演技の ド迫力に

まるで凍りついたように
ストップモーションを
かけられたような…

不思議な空気に包まれたのを
強烈に覚えています。


文太さんとは…
もっと お話をしておけば…
良かったなぁ。。。

残念です。


改めまして

  文太さん

  どうぞ安らかに。。。


ご冥福を お祈りします。




    ☆静江☆彡