2000年になる前位に…私達の時代の[アイドル]と呼ばれた人達を、そろそろ皆様が懐かしく思って下さったのか、よくの仕事で一緒になる事が多かったの。
旅番組とかバラエティー番組とかでね
そんな中で、度重なるメンバーが出てきた。
それが、林寛子ちゃん・沢田亜矢子さんだった。
たまたま、3人気が合ったのと 独立事務所という共通点もあって…
「取材の時に資料として使う写真とか、どうしてる」
「あまり古い(若い時の)写真じゃマズいしね」
「独立事務所は辛いね…1人で、カメラマン・スタジオ・ヘアー&メイクと頼んだら、めちゃくちゃ経費がかかるしね…」
「そうだみんなで合同で撮影したら、経済的じゃない」
って、あっという間に…決まった。
と、すぐに寛子ちゃんが 「久美子にも聞いてみよう」って
寛子ちゃんと、大場久美子ちゃんは堀越の同級生。
大の仲良し
すぐに、久美子ちゃんも参加する事になった
あっという間に、4人で センザイ写真なる物を撮影する段取りが出来た。
カメラマンやスタッフの方々の手配は、久美子ちゃんが大活躍だった。
さて、撮影当日
2人単位で、仕事やをする事はチョコチョコあったけれど、4人集まるのは 撮影の その日初めてだった。
異様!?な熱気に溢れていた
4人それぞれにスタッフが居るし‥大人数が、スタジオの中をひしめき合った。
個々に、必要なパターンの写真を
初めての試みとしては、流れるように撮影は進行した。
でも、あの時のカメラマンの方、ヘアー&メイクの方は、大変だったと思う
なんと言っても、色が薄いとは言い難い4人が、次から次へ…
いやぁ‥お疲れ様でした
で、バタバタゴチャゴチャしているうちに…4人の 小さな結束のようなモノが生まれた‥ような気がした
個々の撮影を終えてから、4人で記念撮影をしようという事になったの。
パチッと
実は
その写真が、しばらく私のバッグに入っていた事が・‥…。
お昼の、小堺さんの番組〔ごきげんよう〕に出演の時、打ち合わせ中に パラッと私のバッグの中から滑り出たのが、その記念撮影した写真だった。
ちょうど、『バッグの中に いつも入っているモノを何か…』と言われている時で、私は大好きだった祖母の写真を出そうと思ってたんだけど…スタッフの方が それに飛びついた
「これは」
「何で4人が」
「いつも集まってるんですか」
スタッフの方の反応と、本番の小堺さんの反応は、ほぼ等しく 私達にはワカラナイ衝撃があったようだ
3人には、本番が終わってから事後承諾を「いいよ」「ぜんぜん大丈夫」と、快くいただいた。
それから、スグだった。
4人で何か出来ないかと、どこからともなく 話が沸き起こってきたのは
1人の活動しかした事がなかったから…しばし4人は考えた。
でも、独立事務所(個人事務所)という身軽さから その話は進み始めた
ゲザデレタという名前は、寛子ちゃんと久美子ちゃんが、ちょうど サンマさんの[明石家マンション物語]に出る出る事になり、ユニット名を決めていただく事に
神経衰弱ゲームのように 裏返したカードを引いて決まった。
引いたカードの順番通りに〔ゲ・ザ・デ・レ・タ〕と
恐ろしい!?事に、この【ゲザデレタ】という文字の並びには意味があった。
ドイツ語で【使者】という
だから、熟女の使者というサブネイムがついてたの
こうして、
【女盛りゲザデレタ】というユニットが誕生した
プロデュースは、ワイルドワンズの植田芳暁さん
曲は、TMネットワークの木根尚登さん
詞は白峰美津子さん
振り付けは、ものまねバトルで振り付けをしていた めるも先生にお願いした。
《Animal Blood》
スゴーく、良い曲なの。
カップリング曲も良かったよ
だっけどなぁ…
あの時、つくづく感じたんだけど…のコメンテーターと呼ばれている方々の、特に男性の 時代遅れの男尊女卑的目線ってヤツ
同性の方々は、「わっ、頑張ってて楽しそう」って、かなり好意的に見て下さったんだけど…男性は「よくヤルよ!!」って、かなり否定的だったの。
寂しかったな
家庭で奥様に牛耳られ、画面からでも牛耳られそうな私達の存在は、見たくなかったし認めたくなかったのかな
でもね
解散したワケじゃないんだけど、続かなかったのが現実です
単に、4人のスケジュールを合わせるのが至難の業だったの
それでも何回か、ディナーショーとかできたんですよ
スッゴく楽しかった
また、できたら良いのにナ
あれから10年・‥…私以外の3人は、人生の大きな変化を選択していきました。
とっても、力強く
私は、仲間として誇らしく思います。
私だけだね…特に変化なく‥まだ婚期も訪れず…
まっ、いっか
静江
旅番組とかバラエティー番組とかでね
そんな中で、度重なるメンバーが出てきた。
それが、林寛子ちゃん・沢田亜矢子さんだった。
たまたま、3人気が合ったのと 独立事務所という共通点もあって…
「取材の時に資料として使う写真とか、どうしてる」
「あまり古い(若い時の)写真じゃマズいしね」
「独立事務所は辛いね…1人で、カメラマン・スタジオ・ヘアー&メイクと頼んだら、めちゃくちゃ経費がかかるしね…」
「そうだみんなで合同で撮影したら、経済的じゃない」
って、あっという間に…決まった。
と、すぐに寛子ちゃんが 「久美子にも聞いてみよう」って
寛子ちゃんと、大場久美子ちゃんは堀越の同級生。
大の仲良し
すぐに、久美子ちゃんも参加する事になった
あっという間に、4人で センザイ写真なる物を撮影する段取りが出来た。
カメラマンやスタッフの方々の手配は、久美子ちゃんが大活躍だった。
さて、撮影当日
2人単位で、仕事やをする事はチョコチョコあったけれど、4人集まるのは 撮影の その日初めてだった。
異様!?な熱気に溢れていた
4人それぞれにスタッフが居るし‥大人数が、スタジオの中をひしめき合った。
個々に、必要なパターンの写真を
初めての試みとしては、流れるように撮影は進行した。
でも、あの時のカメラマンの方、ヘアー&メイクの方は、大変だったと思う
なんと言っても、色が薄いとは言い難い4人が、次から次へ…
いやぁ‥お疲れ様でした
で、バタバタゴチャゴチャしているうちに…4人の 小さな結束のようなモノが生まれた‥ような気がした
個々の撮影を終えてから、4人で記念撮影をしようという事になったの。
パチッと
実は
その写真が、しばらく私のバッグに入っていた事が・‥…。
お昼の、小堺さんの番組〔ごきげんよう〕に出演の時、打ち合わせ中に パラッと私のバッグの中から滑り出たのが、その記念撮影した写真だった。
ちょうど、『バッグの中に いつも入っているモノを何か…』と言われている時で、私は大好きだった祖母の写真を出そうと思ってたんだけど…スタッフの方が それに飛びついた
「これは」
「何で4人が」
「いつも集まってるんですか」
スタッフの方の反応と、本番の小堺さんの反応は、ほぼ等しく 私達にはワカラナイ衝撃があったようだ
3人には、本番が終わってから事後承諾を「いいよ」「ぜんぜん大丈夫」と、快くいただいた。
それから、スグだった。
4人で何か出来ないかと、どこからともなく 話が沸き起こってきたのは
1人の活動しかした事がなかったから…しばし4人は考えた。
でも、独立事務所(個人事務所)という身軽さから その話は進み始めた
ゲザデレタという名前は、寛子ちゃんと久美子ちゃんが、ちょうど サンマさんの[明石家マンション物語]に出る出る事になり、ユニット名を決めていただく事に
神経衰弱ゲームのように 裏返したカードを引いて決まった。
引いたカードの順番通りに〔ゲ・ザ・デ・レ・タ〕と
恐ろしい!?事に、この【ゲザデレタ】という文字の並びには意味があった。
ドイツ語で【使者】という
だから、熟女の使者というサブネイムがついてたの
こうして、
【女盛りゲザデレタ】というユニットが誕生した
プロデュースは、ワイルドワンズの植田芳暁さん
曲は、TMネットワークの木根尚登さん
詞は白峰美津子さん
振り付けは、ものまねバトルで振り付けをしていた めるも先生にお願いした。
《Animal Blood》
スゴーく、良い曲なの。
カップリング曲も良かったよ
だっけどなぁ…
あの時、つくづく感じたんだけど…のコメンテーターと呼ばれている方々の、特に男性の 時代遅れの男尊女卑的目線ってヤツ
同性の方々は、「わっ、頑張ってて楽しそう」って、かなり好意的に見て下さったんだけど…男性は「よくヤルよ!!」って、かなり否定的だったの。
寂しかったな
家庭で奥様に牛耳られ、画面からでも牛耳られそうな私達の存在は、見たくなかったし認めたくなかったのかな
でもね
解散したワケじゃないんだけど、続かなかったのが現実です
単に、4人のスケジュールを合わせるのが至難の業だったの
それでも何回か、ディナーショーとかできたんですよ
スッゴく楽しかった
また、できたら良いのにナ
あれから10年・‥…私以外の3人は、人生の大きな変化を選択していきました。
とっても、力強く
私は、仲間として誇らしく思います。
私だけだね…特に変化なく‥まだ婚期も訪れず…
まっ、いっか
静江