いままで、たくさんの趣味活動をやってきた。

たくさんの仕事もやってきた。


その全てで、僕は常に100点満点を目指そうとあがいていたのかもしれない。



昨日不意に見たテレビ。

生のしらすを淡路島全土で販売するために苦悩した方のエピソードが語られていた。

しらすは足が早い(すぐ傷む)ことでも有名な魚で生で食べることはほとんどなかったそうだ。しかしある地区では生で食べよう、それを淡路島の名物にしようと開発を進めていたそうだ。

そこで採られた方法が、すぐに冷凍すること。冷凍すると100点満点の味ではなくなるが、80点くらいの味で淡路島全域に流通できるようになるとのことだった。100点がいいには決まっているが、それだとやはり販売できる地区は限られてしまう。そのための工夫だなと思った。


一方、チャンネルを変えるとフィギアスケートのメダリストたちがアイスショーを行う番組をやっていた。羽生結弦は全日本選手権大会で優勝したようだ。ショートプログラムは見ていたが、フリーは見ていなかった。早速YouTubeで検索してみてみる。

圧巻の演技だった。最初に4回転アクセルを組み込んでくる姿勢や、そのほかの完璧な演技に、なぜだか涙が溢れた。

常に、100%を一点集中で目指している、そんな人ななんだなと思った。


僕は今、入院生活をしている。

その前も、3か月程度休職をしていた。


その中で、いろんな趣味をやった。盆栽、畑、めだか、流木、石、入院中の今は折り紙や梵字の書写、書道などである。

のめり込んでしまうと、いつもそれを完璧に、すごいものにしようと息巻いてしまう。常に、いろんなもので100点を取りたいんだと思っていたんだと思う。


仕事でもそうだった。

常にいいものを、常にみんなに満足してもらえるものを、常に人のためにと必死だった。


しかし、昨日から書道の基本を学ぶ本を購入して実践しているが、思うように進まない。それが、ふと思うきっかけをくれた。「書道を完璧にマスターして、どうしたいのか?」それで生計を立てるわけでもなし、展示会を開けるレベルまで行くわけでもなし。

その他の趣味にしてもそうだ。突き詰めていく人は、突き詰めていくんだ。僕は、そこまでは出来ないのに、いつもいつもいろんなものに手を出しては中途半端に物事に没頭して自分の中であったり、他人からの評価で100点満点を目指そうとしていたんだと感じた。



しらす漁の方が言うように、80%で満遍なくか、羽生結弦のように一点集中で100%かと言われると、もうこの歳になって一つのことで頂点を目指していくことなんかできるはずがないし、80点もとれるような気もしない。


そう思うと、少し、“やらなければ”“もっとうまくならなければ”という呪縛みたいなものから解き放たれたような気がする。


自分がしたいことをしたいときに、できるときに、そこそこの出来で満足しながらやっていくのが、僕みたいな一般人にはちょうどあっている世界だと思う。そして時折、1点集中のプロフェッショナルたちを見て、すごいなぁと感動を分け与えてもらう。


だから、無理して入院生活中毎日書道の練習をする必要もないし、折り鶴だってもう2列作ろうとかいき見てた時もあったけど、ほどほどの3列で完成にして。ブログも、無理せず、好きな時に好きな書きたいことを書く。そして疲れたらしっかり休む。今はそれでいいじゃない。と、なんとなく自分を納得させることができたような気がする。

それが、今後復職を考える上でも、重要な価値観になってくるんじゃないかなぁ。

自分のやりたいことを、やりたいように。でも 100点を取ろうとして、無理しすぎない。完璧を求めすぎない。


なんとなく、自分の完璧思考から抜け出せているような、そんな気がする今日この頃でした。