身体が、動かない

この感覚はどこか、覚えがある。
中学生の頃、体育の授業中に鎖骨骨折をした。

あの時も、動きたくても動けない。動いたら痛いことを、心がわかっているから。心が、体にブレーキをかけて、痛くないように、痛くないようにと、体を動かさない。

それに、似ていた。

骨折したんだ、と思った。
心が、骨折したんだ、と。

自分の心をいじめていた。
高圧的な態度をとってくるあの人も、結局は自分が相手を見下すような態度をとっていたせいだ。
やめて行ったあの人も、僕がかける声を間違えたせいで、やめて行った。
業績が伸び悩んでいるのも、止まっている事業を再開できないのも、あの人が苦しんでいる、病んでいるのも、全て、自分の責任だ。

そうやって、僕は自分自身の心をいじめていたんだ。


だから、心が骨折した。

これ以上仕事に行くと、もっと痛くなることをわかっているから、自分の体を動かしてくれなくなった。

心と体は表裏一体であるはずなのに、心と体は離れてしまって、僕自身という存在はどこか、1-2m遠いところに置いて置かれているような、そんな感覚だった。

心と体、僕自身。その3つに私は分かれた。
心はダメだと体にブレーキをかけて、体は心のブレーキを受け止めて、僕自身は仕事に行かなくちゃ、そんなんじゃダメだ!と、心と体に鞭を打つ。


1日休んで、次の日はまず、事務長と、リーゼを処方してもらっていた職場の病院の先生のところへ駆け込んだ。

とても、しんどくて、身体が動かなくなりました。
精神科を紹介してください。

先生は少ない言葉だけで状況を察してくれ、真剣な眼差しになり、"いつでも行けるかね?"とだけ。
"はい"と伝えると、"紹介状を〇〇病院のAという医師に書いておく。医師会でも一緒に仕事をしている、熱心に見てくれる人だ。そこへ行きなさい。"

先生がとても、救いの神のように見えた。
自分はある意味、ラッキーだと思う。先生のおかげで、どこも何ヶ月待ちで断られるところ、その週の土曜日に見てくれることになった。

それもあって、その日は1日仕事ができたが、夜はしんどかった。また酒で自分を落とし、眠らせた。
妻曰く、寝ながらも身体はぶらぶら震え、時折、声を上げ、顔面はちっくのようにぐちゃぐちゃ動いていたそうだ。

その次の日はなんとか行けたが、めまいと胸の締め付け感が酷くなり、昼で帰った。

次の日も、身体が動かず、休んだ。
何も気力が起きず、相変わらず自分を責めた。
このまま、消えてしまいたいとさえもう思っていた。

土曜日がきた。
はじめての、精神科受診の日だ。