今日も異常営業。今日は来てましたね、諸先生。
さて、4月のはじめに、本屋大賞2008が発表になりました。
大賞を受賞した作家の本を読んだことがありませんでしたので、昼食後、早速生協へ。
「これ、本屋大賞を受賞したんですって」といって手に取ると、一緒にいたI先生「あ、今読んでます。読み終わったらお貸ししますよ。」
手に取ったその本は、原稿用紙1,000枚、503ページにも及ぶ大部の本。
伊坂幸太郎『ゴールデンスランバー』(新潮社、2007年11月)
3週間ほどかかって、やっと読み終えました。
パレード中の首相が暗殺され、その犯人として警察に追われる元宅配便運転手の青柳雅春。ストーリーは、その青柳が警察の追っ手を振り切り、ひたすら逃げる2日間を描いています。
著者自身が述べていることですが、この本はケネディの暗殺犯とされたオズワルドの事件をヒントにしています。「犯人」ははじめから明らかで、その「犯人」である青柳の逃亡劇がアップテンポで展開します。
もちろん、青柳が真犯人ではないことも最初に描かれます。あずかり知らぬ陰謀によって青柳は犯人に仕立て上げられて逃げ回るという設定です。
この本を読みながら、「こんなに逃げ回る話は過去にもあったよな」と思って思い出したのが、スピルバーグが撮った『激突』。この映画、主人公が運転する自動車を大型タンクローリーがただひたすら追いかけるだけの映画でしたが、タンクローリーの運転手の顔が見えないだけに、主人公には訳がわからない何か巨大な力で押しつぶされる怖さがありました。
まさに『ゴールデンスランバー』もそれと同じような展開で、主人公である青柳は「訳わかんない」状態の中でただひたすら逃げ回ります。
青柳の首尾がどうなったのかは明かせませんが、実は、この本は、すべてを読み終えた後に、もう一度読みたくなる部分がありました。それが、事件から20年後を書いた第3部「事件から二十年後」。503ページの中でわずか15ページほどの部分ですが、これが本の中ではかなり最初の部分(58ページ~72ページ)に配置されています。読み手からすれば、青柳を取り巻く主立った登場人物の顛末を最初に読むことになります。しかし登場人物のほとんどがそれ以降のページで登場するため、第3部では、それぞれの人物が物語の中でどんな役割を担っているのかについては、あっさりとしか描かれていません。
それが全編を読み終えて、もう一度読みたくなり、そして読み返してみると、『ははあ、なるほど』と唸ってしまうような、心憎い構成となっています。
また「書き方」という点に関連しますが、セリフに少し洒落っ気がみられます。すべての箇所でそうであるわけではありませんが、少なくない数で洒落っ気がみられます。それは、セリフの長さを揃えること。
たとえば、青柳とその彼女である樋口の会話。[p.96]
「親しき仲にも礼儀あり、という言葉が」
「あるけど、そういうんじゃないんだよ」
「板チョコを半分に割るのがそんなに?」
「青柳君は少しでも大きいほうをくれる」
「それが樋口の機嫌を損ねたってこと?」
「無茶を言ってるのはわかってるんだよ」
ブログの表示上は語尾の部分にズレがあるかもしれませんが、本の中では見事にそろって印刷されています。はじめは偶然かなと思いましたが、このような文章の長さを揃えている箇所がいくつもみられます。
始めから伏線だらけというのも特徴でしょう。
後半になると、物語の最初で出ていた事柄や会話が再び登場します。それが繰り返し描かれますので分量が増えるというのもわかりますが、これだけ多くなると気が抜けないということになり、それがまた、この本を面白くしているのかもしれません。
舞台が仙台である、ということも、個人的には身近に感じることになりました。
物語には東二番町、花京院、上杉(かみすぎ)などなど、多くの仙台の地名が登場します。小生自身は仙台には1年弱しか住んだことがありませんが(上杉に住んでいた)、そして今と昔では風景がだいぶ変わっているでしょうが、かすかに残る当時の景色を思い出しながら読みました。
最後に、この本をお貸しくださったI先生、ありがとうございました。先生がいくつかのページで付けた折り目。これはきっとブログで引用しようとした内容なのだなと思いつつ、読み終えました。(笑)
さて、4月のはじめに、本屋大賞2008が発表になりました。
大賞を受賞した作家の本を読んだことがありませんでしたので、昼食後、早速生協へ。
「これ、本屋大賞を受賞したんですって」といって手に取ると、一緒にいたI先生「あ、今読んでます。読み終わったらお貸ししますよ。」
手に取ったその本は、原稿用紙1,000枚、503ページにも及ぶ大部の本。
伊坂幸太郎『ゴールデンスランバー』(新潮社、2007年11月)
3週間ほどかかって、やっと読み終えました。
パレード中の首相が暗殺され、その犯人として警察に追われる元宅配便運転手の青柳雅春。ストーリーは、その青柳が警察の追っ手を振り切り、ひたすら逃げる2日間を描いています。
著者自身が述べていることですが、この本はケネディの暗殺犯とされたオズワルドの事件をヒントにしています。「犯人」ははじめから明らかで、その「犯人」である青柳の逃亡劇がアップテンポで展開します。
もちろん、青柳が真犯人ではないことも最初に描かれます。あずかり知らぬ陰謀によって青柳は犯人に仕立て上げられて逃げ回るという設定です。
この本を読みながら、「こんなに逃げ回る話は過去にもあったよな」と思って思い出したのが、スピルバーグが撮った『激突』。この映画、主人公が運転する自動車を大型タンクローリーがただひたすら追いかけるだけの映画でしたが、タンクローリーの運転手の顔が見えないだけに、主人公には訳がわからない何か巨大な力で押しつぶされる怖さがありました。
まさに『ゴールデンスランバー』もそれと同じような展開で、主人公である青柳は「訳わかんない」状態の中でただひたすら逃げ回ります。
青柳の首尾がどうなったのかは明かせませんが、実は、この本は、すべてを読み終えた後に、もう一度読みたくなる部分がありました。それが、事件から20年後を書いた第3部「事件から二十年後」。503ページの中でわずか15ページほどの部分ですが、これが本の中ではかなり最初の部分(58ページ~72ページ)に配置されています。読み手からすれば、青柳を取り巻く主立った登場人物の顛末を最初に読むことになります。しかし登場人物のほとんどがそれ以降のページで登場するため、第3部では、それぞれの人物が物語の中でどんな役割を担っているのかについては、あっさりとしか描かれていません。
それが全編を読み終えて、もう一度読みたくなり、そして読み返してみると、『ははあ、なるほど』と唸ってしまうような、心憎い構成となっています。
また「書き方」という点に関連しますが、セリフに少し洒落っ気がみられます。すべての箇所でそうであるわけではありませんが、少なくない数で洒落っ気がみられます。それは、セリフの長さを揃えること。
たとえば、青柳とその彼女である樋口の会話。[p.96]
「親しき仲にも礼儀あり、という言葉が」
「あるけど、そういうんじゃないんだよ」
「板チョコを半分に割るのがそんなに?」
「青柳君は少しでも大きいほうをくれる」
「それが樋口の機嫌を損ねたってこと?」
「無茶を言ってるのはわかってるんだよ」
ブログの表示上は語尾の部分にズレがあるかもしれませんが、本の中では見事にそろって印刷されています。はじめは偶然かなと思いましたが、このような文章の長さを揃えている箇所がいくつもみられます。
始めから伏線だらけというのも特徴でしょう。
後半になると、物語の最初で出ていた事柄や会話が再び登場します。それが繰り返し描かれますので分量が増えるというのもわかりますが、これだけ多くなると気が抜けないということになり、それがまた、この本を面白くしているのかもしれません。
舞台が仙台である、ということも、個人的には身近に感じることになりました。
物語には東二番町、花京院、上杉(かみすぎ)などなど、多くの仙台の地名が登場します。小生自身は仙台には1年弱しか住んだことがありませんが(上杉に住んでいた)、そして今と昔では風景がだいぶ変わっているでしょうが、かすかに残る当時の景色を思い出しながら読みました。
最後に、この本をお貸しくださったI先生、ありがとうございました。先生がいくつかのページで付けた折り目。これはきっとブログで引用しようとした内容なのだなと思いつつ、読み終えました。(笑)