「東野圭吾の本、ずいぶん読んでるよね。」
 「うん。」
 「フェリーの中で読む本で、何か面白いのない?」
 「これ。」

 東野圭吾『容疑者xの献身』(文藝春秋、2005年8月)

 ほぼ毎日のようにひやかす生協書籍コーナーにも文庫化された東野圭吾本が並んでいます。『一冊ぐらい読んでおかなければな』と思いつつ、初めて読んだ本が『容疑者xの献身』でした。
 
 会計なんて勉強していると、他人からは数学好き、あるいは数学が得意と見られがちですが、数学は好きではなく、したがって苦手です(ちなみに会計は、足し算、引き算、割り算、かけ算だけですし、それも電卓を叩けば簡単に計算してくれます)。そしてそれが高じて、「ふん、数学や物理をやって何が面白いんだ」と逆ギレする始末。(笑)
 ところがこの本の主人公が帝都大学物理学科第13研究室の若き物理学者湯川、しかももう一人の主人公は数学を担当する高校教師石神。『謎解きで難しい数式なんて出てきたらお手上げだな』と思いつつ読み始めたのはいうまでもありません。

 事件は石神が住むアパートの隣に1年前に引っ越してきた母娘の部屋で起こります。復縁を迫り、金を無心する元夫。母娘はその挙動に耐えかねて元夫を絞殺してしまいます。それを知った石神は、母娘を助けるために策を授けます。
 350ページにも及ぶこの本は、最後に湯川によってそのトリックが暴かれるまで、石神がどんなトリック仕掛けたのかをめぐって展開します。
 実は、高校教師の石神と大学助教授の湯川は大学の同窓で、大学時代は二人とも天才の名を欲しいままにした好敵手だったという設定です。したがって石神がしくんだトリックを湯川がどう暴くのかというところに面白さがあります。
 ちなみに、予想どおりに随所に数学問題が取り上げられています。しかしそれらは、この本を読み進める上で何の障害にもならないもので、むしろ、数学嫌いの小生に興味深ささえ提供してくれます。その中で、謎解きをする湯川がこだわった問題があります。

「草薙刑事に謝っておいてくれ。協力できなくてすまないと」
「謝る必要なんてない。それより、また会いに来てもいいかな。」
「そりゃあ構わないが・・・・・」
「酒を飲みながら数学の話をしよう」
「数学と殺人事件の話、じゃないのか」
湯川は肩をすくめ、鼻の上に皺を作った。
「そうなるかもな。ところで、数学の新しい問題をひとつ思いついた。暇なときに考えてくれないか」
「どういうのだ」
「人に解けない問題を作るのと、その問題を解くのとでは、どちらが難しいか。ただし、解答は必ず存在する、どうだ、面白いと思わないか」
「興味深い問題だ」石神は湯川の顔を見つめた。「考えておこう」
湯川はひとつ頷き、踵を返した。そのまま通りに向かって歩きだした。[p.148]

 これはどうやらP≠NP問題として知られているもののようです。こんな数式を見てもこれが何を意味し、何が問題なのか、まったくわかりませんが、「人に解けない問題を作るのと、その問題を解くのとでは、どちらが難しいか」ということであると解きほぐされると、問題の本質はわからないまでも、小生に考える「隙」を与えてくれます。そして改めて数学は論理学なんだなと思い起こさせてくれます。

 トリックの構成も見事で、前後関係も明解で、一気に読ませてしまう東野氏の力量に感服の至りです。映画のせいでフェリーでは読了できませんでしたが、帰ってきてから寝不足気味で読み終えました。見れば、物理学者湯川シリーズがあるんだとか。またまた読み漁る作家が増えました。

 ところで、人に解けない問題を作るのと、その問題を解くのとでは、どちらが難しいのでしょうか。うーん、難しい。