12月と云うと
一般に一年の終わりの月
私にとって
12月は
太平洋戦争の開戦した月
忘れもしない
12月8日
午前7時前の 早朝のラジオの臨時ニュースで
開戦を告げる
臨時ニュースが流れ
一日中
軍歌
「海行かば」
と
「軍艦マーチ」
が流れていた
当時
旧制中学の学生だった
実兄は
腕に勤労報国隊
と描かれた
腕章を付け
工場に勤めていた
工場は
朝の8時~夜の8時迄
稼働を続け
正規の工員と
徴用工
と
学生の三者が交代で
勤めていた
勤務中
ウ~
と云う
警笛(サイレン)が
聞こえると
即座に
裏山に掘られた
防空壕に
逃げ込んだ
昭和20年ともなると
機械の油が足りなくなり
魚の油を代用品として用いた
自宅に帰宅した
実兄の身体は
魚の油臭くてたまらなかった
街の古老
~
抜粋