今熊山(標高:505.7m)(呼ばわり山)東京都




八王子市の上川町にあります。

 なんとかの近くという言い方をしたいのですが、今熊山はあきる野市が近い八王子の山の一つでして、敢えて近くの目印と言えば、正福寺か?少し離れて新多摩変電所か??

* それほど田舎ではないと主張する人も多い ・・・ 私的には、八王子が既に(後略)。

 なお、今熊神社はこれまでに2度焼失した記録(一度目は、元治元(1864)年、二度目は昭和17(1942)年の山火事で延焼)があるようですが、2度目の火災で本殿が焼失するまでは今熊山の山頂にあったそうです。

 2度目の焼失後、山頂に再建される事は無かったのですが、昭和51(1976)年に麓近く(川上町19)に再建され、その神社の横の正規の登山道を素直に行けば30分くらいで山頂に辿り着きます。

 今熊神社の歴史は意外と古く、一説には第27代安閑天皇のお后探しの話の頃には既に建立されていたと考えると、その起源は1500年以上前ということになります。

 安閑天皇のお后探しの話というのは、后宮であった橘の仲皇女が浪花路で行方不明(要するに、奈良から大阪まで旅に出た途中で拉致された)になってしまったとき、天皇の夢枕に神人が立って、”武蔵の国の今熊山の山頂に立って、3度名前を呼ぶと良い”と教えられ、その通りにするとまもなくお后の行方が知れて無事に再開する事ができたというもの。

 奈良から大阪への旅行でなぜに行方不明になったのかといった詳細は不明なようですが、いずれにしても、この霊験あらたかな出来事があって以降、今熊山は失せ物から失踪した人まで、ほぼオールマイティに探し出してくれる霊山として有名になった ・・・ そうです。

 少なくとも、柳田国男の「山の人生」にも迷子を捜す親が今熊山を訪れる話がありますから、最盛期のにぎわいがどのようなものだったのかは定かではありませんが、明治以降もそれなりに霊験が知られていたようです。

 なお、現時点で伝わっている願掛けの方法は、山頂にある祠のまわりを太鼓を叩きながら回って、”○を出してくりょうや~い”と3度叫ぶという方式が正伝になるようです。

 一説には、今熊山の近辺は、この世から、何らかの理由で捨てられたもの、何らかの理由で消えたものが妖怪となってたむろしている魔界になっているという話があり、一種の付喪神の集う山麓なのかもしれません。

 なお、近くの集落では、時に、そうした妖異たちが宴会を開いて騒いでいるのではないかと思われる、声や音が聞こえてくる夜があったそうですが、八王子といえば高尾山ということで、御多分に漏れず、天狗の話も珍しくない地域だったりします。

 つまり、子供や若い娘が行方知れずになったり、天狗にさらわれたりしたときも、今熊山の山頂で3度名前を呼ぶと出てきたといった内容の昔話がある地域ということです。

 ただ、今熊神社で興味深いのは、御祭神が建速須佐之男命と月夜見命の2柱となっていることで、紀伊国(和歌山県)の熊野本宮の御分霊を 遷した事から、当初は、”今 熊野 宮”と称したという説が正伝になるようです。

* 怪しい話を長々と読んでいる人にはなんとなく疑念が伝わると思いますが、関東の山奥の神社で須佐之男命(素戔嗚尊)と月夜見命(月読、月詠尊)の2柱だけという組み合わせが意味深ではないかと。

* というか、八咫烏で知られる熊野から御分霊して素戔嗚尊が祀られるのはともかく、なぜこの2柱が御祭神になると行方知れずの人を探し出せる事になるのか?がよくわからないという段階で謎が多いのですが。

** 島根県八束郡八雲村熊野に八岐大蛇を退治した後の素戔嗚尊が住んでいたという伝承があり、この地にも熊野大社がある事は一部では有名。



 もっとも、明治になるまでは今熊野大権現と呼称していたようなので、吉野~熊野系の修験道との関係も深かったのではないかと推察されます。



 となると、今閑天皇の后を捜す話というのも、熊野の修験者のネットワークがなんらかの関与をしていた事を暗喩している可能性が出てくるわけですが、それから1500年以上経過した今となっては真相は闇の中かなと。

 比較的近いところでは、神奈川県相模原市の新田稲荷神社(相模原市共和1-1867-2)の呼ばわり山(といっても、高さ7~8m程度の丘)も有名ですが、実はここは、江戸時代に今熊神社が今熊野大権現と呼ばれていた時代に今熊神社から勧請したもので、やはり行方不明の人の名前を”呼ばわり山”の上で鐘や太鼓を叩きながら呼べば再会する事ができるとされています。

 合理的に考えれば、通信手段や交通手段が未発達で、遠距離を移動する事が普通の人には困難だった時代に、旅に出た人の安否や行方が知りたい場合、独自のネットワークを持って全国の山々を行き来していた山岳密教の修験者達に依頼する事で行方が知れる事があったのではないか?と思わないでもありません