60年前の計算機の思い出…… | 隣の幹事長のブログ

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気持ちは18歳 血液A型 身体はガタガタ 後期高齢じーじ(GG)の 言いたい放題で~す。

卓上計算機の思い出は………

GGの新入社員だった昭和42年でしたが、今のようなテンキーの計算機は無く(液晶が皆無の時代) 線ひき(スケール)みたいな「計算尺」や 「手回しハンドルの金属製計算機 ⇒ 計算終了時にチ~ンってベルが鳴るやつ」などがありました。

 

それから数年後に、日立電気さんから放電管(オレンジ色のネオンサインみたいなやつ)を使用した卓上計算機が発売され、12桁の放電管計算機を会社で購入して頂きました。

 

価格は12万円(1桁1万円です)、しかし計算するたびに数値が異なり………私の背後で見学していた方々は腕組みしたまんまでした。

背後霊たちに囲まれた若きGGは固まり、そして白髪に(ここだけ嘘)……当時 初任給は2万5000円でした

 

その前の学生時代……大学生のアルバイトが力仕事で1日500円(1時間ではありません8時間ですよ 時給63円 ラーメン50円の時代)

 

家庭教師のアルバイトで 週3回で月に5000円でした。

算数/国語/理科/社会/音楽 全教科を……

大学が御茶ノ水でしたので 上野界隈で合計9人の小学生を教えました(男子2名 女子7名)

多分というか現在 教え子は70歳過ぎのオジジとオババになってますね

会いたいな~

今は、良き思い出です。