今日は 赤穂浪士(義士)の討ち入り日…… | 隣の幹事長のブログ

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今から 320年前の 元禄15年12月14日 午前4時過ぎ頃 本所(江東区)の吉良邸に 元/赤穂藩の武士が 浅野内匠頭(あさのたくみのかみ)の仇討ちとして 討ち入りを決行した……

当時の吉良邸は2,550坪という広さ

ちなみにGGのマンションは3LDK 73平方メートル……22坪

 

姿をくらました吉良上野介を見つけ 確認し 首をはねるまでに かなりの時間がかかったようだ(約2時間位)

兎に角 今と違い 電球もLEDも無い 真っ暗な屋敷の中での作業?は大変だったと思う

尚 当時は日の出になった時点が日付けが変更される

だから 現代ならば12月15日ですね

そして 午前6時に吉良の首を持ち 芝高輪の浅野内匠頭が眠る泉岳寺に徒歩で向かった

距離にして13キロメートル

バスも タクシーも無い時代……午前8時には泉岳寺に到着したようだ

チョー早いですね(徒歩の時速4キロメートルとして)

 

元々は 48人の方々が参加されていたのだが すべてが終了した時に 大石内蔵助が 足軽の身分で参加していた者 1名を 逃がし後世に伝えるように言ったとの事……流石 内蔵助ちゃん

ところで 松の廊下で浅野さんを 羽交い絞めにしたのは 梶川さんですが 今の市川市柏井町のお方だったとのことです

有名な 浅野内匠頭のセリフ……止めてくれるな梶川殿と 武士の情け 討たせてくれと懇願したが……

現代にも通じる 実話ですね

梶川殿に関しては その後 各方面から 武士としての思いやりがないとの事で 最後はどこに眠っているのか知りたいです……ご両親の墓は 確か市川の大野に有るらしいです