元禄十五年 十二月十四日 ……
江東区? いや 本所 松坂町の 吉良邸に……
兵庫県? いや 赤穂の 浪士たち 四十七士が
主君 浅野の 仇を とるために 乱入
みごと 仇討ち 成功されたが……
四十六名が 切腹を……
内 一人は 足軽の 身分だった為 討ち入り後に 元 家老 大石が 逃がしたらしい……
話は 事件当日に……
いつも 吉良氏に イジメられていた 赤穂城の 城主 浅野氏 ……
江戸城 松の廊下にて 当日の 重大イベントの 委員である (参勤交代で 赤穂から 来ていた 赤穂城主) 浅野が プッツンして 委員長の 吉良氏に 二太刀 あびせ 三太刀めで 留めを と ……
そのとき お土産受け渡し係の 担当していた 梶川氏が 後ろから 羽交い絞めにして 凶行を 止めちまったのよ!
浅野氏は 即日 切腹!
凶行を 止めた 梶川氏は 即日 給料 五百石アップ ……
喜んだ 梶川氏 各大名の 江戸屋敷に 給料アップの お礼に……
ところが どこに行っても 帰れコール!
いわゆる 『武士の 情け』 を 怠った ことに対して ……
羽交い絞めを しないで 三太刀目を させて あげなかったのか?
その後 赤穂浪士からや 柳生一派から 命を 狙われたらしい……
柳生一派とは 一戦を 交え ……
最後は 生国を 出て 悲惨な 旅に……
その 生国とは 千葉県 市川市の 大野町 ……
梶川氏の 両親の 墓は 地元の 寺に ……
梶川氏の お蔭で 四十六名 以上の 命が……
GGは 思う …… 事件の影には 泣く人 ありと
良きこととして やったことが ……
梶川氏 さぞ 残念だったと 思う …… 合掌