前の記事で
史上最強打線について書いた。
江藤、清原はFA移籍組、
ローズは近鉄との契約問題から
自由契約になった所を獲得。
だが小久保は、
衝撃的かつ、前代未聞な事件で
巨人へと来たのであった。
それがこの
小久保裕紀無償トレード問題。
1993年ドラフト逆指名で
当時のダイエーホークス入団。
1995年には28HRで本塁打王。
2001年には44HRを放つなど
ダイエーを弱小から強豪へと
変えた4番打者である。
だが2003年のオープン戦で
右膝に大怪我を負い、
公式戦での出場はなく、
渡米して7度の手術。
このオフに、事件はおこった。
ダイエー小久保裕紀、
巨人へ無償トレード
ファンを始め球界は騒然。
その裏側には
フロントとの確執があった。
高塚球団社長はとんでもない奴で
年俸査定に成績を無視し、
優勝できなかったこと、
強いてはグッズの売り上げなど
そのような理由で減俸する
最悪のフロントだった。
ましてや
勝利後のハイタッチなどに
自身の知人などを紛らせたり
試合中にサインボールを強要。
非常識にも、程がある。
好き放題やっていた高塚だが
封建制の中では立場的にも
文句をいえる者はいなかった。
だが、
選手会長で正義感の強い小久保は
度重なる理不尽さに
ついに堪忍袋の緒が切れ、
選手代表として抗議にでる。
ここから、確執が生じる。
前述の手術で復帰をめざす際、
1000万~2000万円した
手術費用を自費という、
とんでもないことを言ったのだ。
ダイエー球団はこの頃から
経営悪化が表沙汰になり、
球団の身売りも時間の問題だった。
しかも小久保は
球団最高年俸の2億1000万円で
一年間試合に出れなかった小久保に
この額は払えなかった。
さらに、この年ダイエーは
見事に日本一に輝き、
「小久保がいなかったから勝てた」
と信じられない発言をした。
常に4番を打ち続け、
選手会長でもあった小久保は
どれ程プライドを傷つけられたか。
以上の事実から小久保は
「活躍すれば評価され、
活躍できなければ年俸に跳ね返る。
そんな純粋な野球がしたかった」
という発言をし、
移籍の希望と球団への不信感を表明。
では、
なぜ巨人なのか?
なぜ無償なのか?
ということを。
小久保自身は、
「ダイエー以外ならどこでも」
と巨人へのこだわりはなかった。
だが、
年俸的にも、金銭面でゆとりのある
巨人以外に移籍先はなかった、
という説が一般的。
メジャーリーグ移籍も
視野に入れている中、
治療費を含めた資金的援助、年俸
これをこなせる球団として
巨人移籍が最適だった。
事実、中内オーナーは最初に
巨人の渡邊オーナーに相談し、
巨人側が引き受けたかたちになる。
次になぜ無償なのか?
ダイエー球団は
「球団よりも小久保君に
お金を使ってあげて欲しい」
とコメントしているが、
実際のところは
ダイエーが巨人に
小久保をお願いします!
という形になった為、
無償トレードになったと思われる。
小久保の代わりにお金ください!
じゃあ理不尽すぎるから。
選手トレードとなると
巨人から活躍の場を奪われる
選手もでてきてしまう。
だから、無償だったのだろう。
↓巨人移籍後の小久保
このことに選手一同、
王監督も激怒し、
「来年は4番で使う気でいた。
与えられた戦力で戦うしかないが
この事実は極めて遺憾。」
松中選手からは
「球団は勝つ気がないのだろう。」
「連覇を狙う気も薄れた。」
と発言している。
巨人で3年間プレーし、
巨人でも4番を打つ活躍。
そして
2007年、FAという形で
ホークスに復活するのである。
ダイエー球団はもう無く、
ソフトバンクに身売りされ
オーナーも孫正義になり、
王監督や松中を中心に
小久保受け入れ状態をつくる。
恩師である王監督のもと
再びホークスの主軸として
活躍できることは、
巨人ファンとして寂しいが
とても嬉しいことでもある。
これからも
ホームランを量産してほしい。
この一件は衝撃的だったけど
小久保をずっと応援したいなと。
衰えが見え隠れする中、
小久保の豪快な一発の魅力は
色褪せることはない。
波乱万丈で一番大変だったのは
小久保本人で間違いないけど、
それを乗り越え、怪我も乗り越え、
ファンを大事にするその姿も
相手投手を打ち砕く一発も
永遠に球史に残る
4番打者だと俺は思う。