小学校5年から、私たちは豊島区の住人になった。最寄りの駅は、高田馬場で、バス停3つで池袋、歩いてもそんなにはなかった。
大きな印刷工場の中に、私たち親子が住めるところが作ってあった。
窓の下、すぐに神田川が流れている。
雷雨のとき、ピカピカする空と、ティンパニのような轟音と、落ちてくる雨が水面にぶつかるのを見るのが好きだった。
新しい小学校に転校した初日、母と職員室の前の廊下で待っていた。
、、、犬になりたい、と母が呟いた。
母は、痛ましい生い立ちの人だった。
彼女も母親に捨てられていた。挙句に、その母親は近所で再婚し、新しく生まれた子供たちと幸せに暮らしている、それを見ながら育った。自分はおばあさんに育てられたそうだ。
その、おばあさんには、特別な思いがあるようだった。
最期は病院まで、おばあさんをおぶって歩いたが、全然重くなかった、
亡くなった時、体から火の玉が出て、天井に上っていくのが見えた、火の玉は大きいんだよ、長さが1メートルくらいある、と語った。
二十歳の時、盲腸の発見が遅れて、一命はとりとめたが、子供を産めない体になった。バセドウ病や脊椎カリエスなどの病にも悩まされた。
最初の夫は酒乱だったから、酒を飲まない私の父との見合い話を決めたと言ったが、結局苦労したのは、同じじゃ、なかったの?
もしも私に子供がいたら、お前はこの程度じゃ、すまないんだよ。と言ったこともあった。
子供が産めない、からこの程度の家庭しか、自分にはふさわしくないと、考えていたのではないの?
学校の窓の下にどこかの家の庭が見えた。鎖に繋がれた犬がのんびり寝そべっていた。
あの犬になりたい、と母が言った。
その頃すでに、母は、体力的にも精神的にも限界だった。