蒲公英の儚い刹那忘れたい
蒲公英〜タンポポ〜は3月の季語。ここ数年、マトモに見た記憶がない。今年は、ど田舎の史跡巡りのさい、見たような気がする?意識しなかったため、記憶がはっきりしない。良い意味で雑草並みのイメージだが、菜の花に比べて生存力が弱いのだろうか?都心では探さない限り、まず見ない。
わたしの父は官僚だったため、霞が関と地方ブロックの県都の往復だった。中学の途中に地方に行き、なんとか県立のトップに入学した。また霞が関に戻ることになり、既に高級官僚の父は私立のコネを使うこともせず、空きがあった2線級の都立高に転入した。当然、十人前後の編入試験合格者の首席、まわりの生徒の質が著しく劣化した。
わたし自身、完全に腐り切った。
そう、悪貨は良貨を駆逐する。
中学から始めた柔道部も、レベルの低さもあり、一度は入部はしたが、半年で辞めた。まわりの二流三流意識がイヤでたまらなかった。
高2からは高校生活は青春は完全に捨てた。授業が終わると帰宅部。すぐ現役向けの駿台予備学校に通った。これまた駿台予備学校の現役向けの講師は、浪人向けの余り物まわされ、ほとんど役に立たなかった。が、まわりの御三家などの生徒からは良い刺激を受けた。
そんな捨てた青春の蹉跌。それでも😸ネコが発情するよう、同級生に恋心を抱いた。清楚ながら、庶民的、快活な娘だった。今日気づいたが、中西アルノに似ていた。イチかバチか、その子の親友を通じての、セコい告白をした。それも、事前にオルゴールをプレゼントするなど、イケると感触をつかんでいた。
あっさり〜彼氏います〜とフラレた。
無様に落ち込む。一時登校拒否るなと、惨めなコメディアンを演じた。
そんな青春の蹉跌の一句↑
それから早稲田入学まで2年、かかった。早稲田ではまた柔道を再開した。体育会ではなかったが、インターハイレベルの猛者。基礎からやり直した、最後は〜やっとマトモになったな〜上級生に褒められた。さらにその後、総理となった代議士事務所のバイトから、早稲田マスコミセミナーに通う。そしつ、その後、さらに世界が変わる。若かったのである。
彼女は無名に近い短大から今の三菱UFJ銀行に入ったと人づて聴いた。おそらく、ありきたりのバンカーと幸せな、つつましい暮らしであろう。
今朝のNHK俳句講座
中西アルノの初歩講座始まる
アルノの2句
すすきがね風に吹かれて踊っている
挨拶と称して狙うお年玉
気に入っていた司会者、武井壮が変わっていた。お題は蒲公英。テキトーに拾う
蒲公英にやっと待ちたる風が今
蒲公英の絮乗り切る風を待つ
蒲公英の絮風を待つ鳥を待つ
鬱憤を蒲公英の絮一吹きに
それが今なら蒲公英を棺に
中西アルノの俳句初心者講座は楽しみだ。
古来、畳と女房は若いほうが良い、という。
退院したら、ガールズバーで嵌め外そう