最近気づいたこと


ユーチューバー江川卓主宰の、江川卓たかされで、以下のコメントを書いてきた。


一茂君が身内に責任を引き取る姿勢は武士道。しかし、一義的な責任は蓮実進秘書と当時の内閣法制局長官の思いつき、それに乗った巨人軍経営者にある。もちろん蓮実レベルが畫いたシナリオを推進できるはずもなく、一茂君は蓮実のシナリオに食いついた父親を責めているのだろうか?

ソースは、今改めて読み返している●中央公論新社「渡辺恒雄回顧録」(2000年1月初版)293ページ目●。

渡辺恒雄曰く「ドラフト制度が厳然として存在する中で、「空白の1日」を利用するなんてことは、事前には僕はまったく知らなかったんだ。だから、空白の1日という盲点を突いた後、船田事務所に聞いてみたら、当時の船田さんの秘書でいま代議士をやっている蓮実進君が、内閣法制局長官のところに行って野球協約解釈上はOKだと聞いてきたと言うんだよ。しかし、江川の巨人入団が発表されるや、ごうごうたる非難を浴びるわけだ。当時、巨人軍の代表は、僕と終始、ソリが合わなかった元編集局長。彼は真っ青になって対応不能状態。当時、務台社長は病気療養中で、僕や氏家が日本テレビ社長だった小林さんの命を受け、事後処理することになったんだよ。それにしても、週刊誌やスポーツ紙の記者は図々しいね。社長室のすぐ近くまで占拠された。なんとか彼らが入れないブロックを作って江川親子を保護していたんだ。目つきの悪いのも押しかけてきた」

🔝わたしの私見。適法かテキトーかわからないが、当時の内閣法制局長官と蓮実秘書が混乱の元凶、それに食いついた巨人軍代表、監督ら、これか真相だとわかる。工作をしていた蓮実、球団代表らが、務台社長の意を受け、別ルートで政界等工作しているナベツネに伝え、おそらくナベツネに反対され、江川家、務台、小林の読売新聞、日本テレビ社長の判断を仰ぐべき。代表とナベツネの不仲、手柄争いが影響したよう、見える。すべて一茂君が父親のせいにして引き取るも、コアなワンパーツにすぎない。そして、熟知しなかわら、誰が悪いアレがワルイと言わず、黙して語らぬ江川卓さんは武士だ。今となっては小林さんの墓前に謝らなくてはならないのは、江川卓さんではなく、読売新聞社。小林さんの闘魂を称え、その名誉を永久欠番とする。江川卓さんをBクラス巨人軍の監督に迎え、王者巨人軍の再建をお願いする。昨日サンデーモーニングに王貞治さんが出ていたが、すっかりソフトバンクの人になっていた感じを受けた。サインを強請った元少年の一人として寂しかった。ちなみに、いつまでも王貞治に食っいていくと、多摩川の路地裏に手招きして、世界のホームラン王がサインをしてくれた。話題が脱線した😁


◎追記

一方で、渡辺恒雄はこうも曰く。自身が江川卓獲得に船田中を絡め、永田町を巻き込んだ事実を得意げに語る⬇

「プロ野球も社業の一つだからね。読売巨人軍としては、どうしても江川卓投手が欲しかったわけだ。江川も巨人に行きたいと公言していた。僕は務台さんの命を受け、船田中さんに頼みに行くんだ。江川は作新学院出身だから、創業者の船田中さんの言うことを聞くんだよ。前にも話した通り、僕は船田さんと非常に親しかったからね。そして、江川から「巨人以外には行かない」という言質をとるんだ」

🔝わたしの私見。ナベツネが読売新聞として出来ることは当時は珍しかった逆指名までと言いたかったのだろう。内閣法制局長官がパンドラの箱を開けた


●わたしの結論


そして、一茂君の「すべて親父がワルイ。江川卓さんが欲しくて姑息な手を使った」。この一言は江川卓さんの半世紀近くを経た、名誉回復発言である。わたしは読売新聞のライバル朝日新聞しか取っていないが、SNSを見る限り、沢村賞落選の嫌がらせをしたすべてのプロ野球関連マスコミは無反応を装う。姑息か、風化か。どちらかならば、風化であろう。黄桜の再会時点でさえ、小林さんは「もう風化しているよ」と。そしてこう続ける。「俺たちがつくったものではない、まわりが勝手につくったものだから、そして、他人の評価に振り回された。きょう胸の中のモノがストンと落ちた気がするが、それでも俺たちは晒され続ける」

 

  


 

 

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