日本代表がワールドカップで4度目のグループステージ突破を果たし、森保一監督体制が継続することになりました。2002年日韓大会以外の3度は日本人監督が率いているので、その方が独特の一体感をもたらせるという見方もあります。一方で3度とも日本の戦い方は、本番の一発勝負に向けた付け焼刃でした。2010年南アフリカ大会では、大会直前に選手たちの進言により岡田武史監督が急遽戦術を変更しました。4年前のロシア大会は、ご存知の通り、直前にハリルホジッチ監督を解任し、技術委員長の西野朗氏が即席で臨みました。そして今回の森保監督も、4年間で見せたことのない采配で、1度も経験したことのない逆転勝利を2度も呼び込みました。逆にボールを保持しながらも攻め切れずにワンチャンスを決められて敗れたコスタリカ戦こそが、アジア内で良く見た展開でした。実は日本サッカーの歴史を百年単位で俯瞰すると、いくつもの奇跡が点在します。ただし奇跡が本当の進化をもたらした例がほとんど見当たらないことも歴史は物語っています。さて今回の2つの逆転勝利は、奇跡が連なったものなのか、それともまさに奇跡の一発を決めた浅野が言うように「必然」だったのでしょうか。
ワールドカップでの日本代表の戦いを「火事場の馬鹿力」と評した声がありました。日常的に大観衆の前でトップレベルのプレーを続けている選手たちにとっても、ワールドカップは「火事場」に値するほど特別です。同じように普段は和気藹々のプレーを心がけている我々一般人でも「試合だぞ!」と点火した途端にテンションが変わってしまう危険性があります。プロの世界では相手に勝つことを追求しますが、我々の勝利は健康維持です。
ということで、オレンジソックスのクリスマストーナメントは、今回ばかりは常連さん限定で真剣に、しかしフェアに行われました。まず袋の中に2人のGKを除く全員の名前を書いた紙を入れ、最初にGKが1枚ずつ紙を引き出します。次は引かれた(指名された)人が紙を引くという具合で、年齢や実力を考慮することもなく見事にランダムなチーム分けが完成。それからは10分間ゲームで4分間インターバルを延々繰り返したのですが、果てしなく続いた2チームの試合は最終的にバレーボールか、バドミントンか、というスコアで引き分けた模様です。「模様」と結末が曖昧なのは、最後に代表が「誰もケガをしなかったから全員が勝利」という美しい言葉で締め括ったからでした。
ところでカタール大会では、ワールドカップを8度取材した記者やカメラマンに、ロナウド(すっかり大きくなったブラジルの方です)からミニトロフィーが授与されたそうです。因みに僕は1986年メキシコ大会から7度取材をしてきたので、もし今回取材していればもらえたわけですが、次男の障害児がすっかり大きくなりトイレや風呂の介助には男手が必須になったので、2014年ブラジル大会を最後に断念しています。わざわざ自慢とも取られかねない蛇足を引っ張り出したのは、いつもビブスの洗濯に手を挙げられないうしろめたさがあるからです。手も足も自由が効かない障害児を抱えると、とにかく洗濯機がフル稼働になります。ま、彼の名誉のために詳細は省きますが、1日に「お色直し」が2度3度は当たり前。我が家の洗濯機にインターバルはありません。なので今後も僕がビブスの洗濯に立候補することは出来ませんので、この場を借りてお詫びをさせて頂きました。いつも洗濯をして頂いている方、陰ながら感謝してます。
ワールドカップでの日本代表の戦いを「火事場の馬鹿力」と評した声がありました。日常的に大観衆の前でトップレベルのプレーを続けている選手たちにとっても、ワールドカップは「火事場」に値するほど特別です。同じように普段は和気藹々のプレーを心がけている我々一般人でも「試合だぞ!」と点火した途端にテンションが変わってしまう危険性があります。プロの世界では相手に勝つことを追求しますが、我々の勝利は健康維持です。
ということで、オレンジソックスのクリスマストーナメントは、今回ばかりは常連さん限定で真剣に、しかしフェアに行われました。まず袋の中に2人のGKを除く全員の名前を書いた紙を入れ、最初にGKが1枚ずつ紙を引き出します。次は引かれた(指名された)人が紙を引くという具合で、年齢や実力を考慮することもなく見事にランダムなチーム分けが完成。それからは10分間ゲームで4分間インターバルを延々繰り返したのですが、果てしなく続いた2チームの試合は最終的にバレーボールか、バドミントンか、というスコアで引き分けた模様です。「模様」と結末が曖昧なのは、最後に代表が「誰もケガをしなかったから全員が勝利」という美しい言葉で締め括ったからでした。
ところでカタール大会では、ワールドカップを8度取材した記者やカメラマンに、ロナウド(すっかり大きくなったブラジルの方です)からミニトロフィーが授与されたそうです。因みに僕は1986年メキシコ大会から7度取材をしてきたので、もし今回取材していればもらえたわけですが、次男の障害児がすっかり大きくなりトイレや風呂の介助には男手が必須になったので、2014年ブラジル大会を最後に断念しています。わざわざ自慢とも取られかねない蛇足を引っ張り出したのは、いつもビブスの洗濯に手を挙げられないうしろめたさがあるからです。手も足も自由が効かない障害児を抱えると、とにかく洗濯機がフル稼働になります。ま、彼の名誉のために詳細は省きますが、1日に「お色直し」が2度3度は当たり前。我が家の洗濯機にインターバルはありません。なので今後も僕がビブスの洗濯に立候補することは出来ませんので、この場を借りてお詫びをさせて頂きました。いつも洗濯をして頂いている方、陰ながら感謝してます。