☘️あと半年の命と
 余命宣告を受け 
 御葬式の準備
 泣き女の手配
 安置所の確認まで行った翠さん


 次はハラハラと髪の毛が
 落ちていきました





その当時の治療法は、
一日おきに注射を半年間続ける。

注射を打った一時間後から
38度を超える発熱と悪寒、
頭痛、関節の痛み、
筋肉の痛みが始まる。
解熱剤で熱を抑えるが
痛みはほとんど取れず……、
そんな日々が続き少し経つと
毛髪が抜け落ちた。
免疫力も無くなり
皮膚を掻くだけで血が滲み
鼻からも目じりからも血が滲んだ

夜起きると布団の上には
かさぶたや剥けた
皮膚片がぽろぽろ落ちているし
枕には一束ほどの毛が抜けている。

副作用がその位だとわかれば
あとは注射に通うだけでよくなる。
足を引きずり、
痛み止めを飲みながら、
髪の抜けた頭をバンダナで
包んでパートの仕事にも通った。

半年間の治療が済んだ。

結果はあと半年後、
ウイルスが居なくなっていれば
完治ということだった。

待ちに待った半年後……


残念ながらウイルスは
何十倍にもなって
肝臓で生きていた。


副作用に耐えた治療も
水の泡だったのだ。

私は医者に詰め寄って
「もう一度治療をしてほしい」と頼んだ。

既に副作用で血小板も
何もかも異常数値ぎりぎりで
やっとの状態だった。

「副作用ならあとから治します。
是非もう一度治療をしてほしい」

少しの間をおいて、
医者はもう一度
治療をしてくれた。
この間に薬が変わり、
1週間に一本の
注射でよくなって、
抗ウイルス剤を
服用する治療になった。
この治療も副作用は
同じようにあり、
痛みと熱との闘いの
半年間だった。

全身の毛も抜け落ちた。
またバンダナを巻く日々が始まった。
職場の友人が
おしゃれな柄のバンダナや
スカーフを何枚もプレゼントしてくれた。

半年間の治療が終わっても、
またさらに半年先でないと
結果は判明しない。

そこで私は、
もしこの治療で
完治していなければもう
治療はできないだろうと思った。

そう思うくらい
体はボロボロだったのだ。


この先はまた余命宣告を受けて
死ぬことになるのだろう。
ベッドの上でオタオタと
カッコ悪く死んでいくの
たまらない。

娘はまだ高校生だった。

年頃の娘に見せられるのは
格好いい女の死にざま
くらいだと思った。

ではベッドの上で
どうすれば娘に見せられる
死に方があるのか……。悩んだ。

そこで、
最後の注射が終わるその日、
私は法政大学に
入学願書を提出した。

苦手だった歴史の
勉強をしながらなら
ベッドの上で死に近づいても
オロオロせずに済むだろう。

1月して入学許可が下りた。

コツコツとレポートを書き
提出し試験を受けて
勉強を進めた。
夜間の授業にも
静岡から東京の飯田橋まで
週一回通って単位を取得した。



(③に続きます)