冷たい雨が降る季節となった。我らの世代には、冷たい雨というと、ハイ・ファイ・セットの歌「冷たい雨」が思い浮かぶ。この歌の作詞作曲はゆーみんだ。

 

今、日テレの連続ドラマ、「地味に凄い校閲ガール」の主題歌。12月の雨は1974年10月の発表。これもゆーみんだ。43年前の曲だ。冷たい雨は1975年の作品。

 

これらの曲は、当然ながら昭和の曲で、われらの生活の断面を彩る。たとえば、冷たい雨が降ってきた時に、寂しさとも厳しさとも、せつなさとも言えないような季節の感動を、思い浮かべる。こんな歌が、ある種の感情とともにスッと浮かぶ。

 

昭和の時代に、ユーミンは時代をこのような曲で切り取り、我らの世代はそれに共感して、同じような感覚や思いや感情を、この曲とともに思い出す。

 

もう少し前の世代なら俳句や短歌だったかもしれない。雨を読んだ俳句や短歌も多いだろう。教養、薄く、それらの感情や情緒までは、それほど生き生きとは思い浮かばない。

 

時雨や氷雨、村雨などなど。にわか雨のように割合短い時間に降るものでもいろいろとある。おそらく、それぞれのことばに、いろいろな感情がついてくるのだろう。戦前の人々には、豊かに感じられただろう。

 

この古い言葉だと、それが引き継がれているのは、俳句や短歌だろうが、われらの世代は、戦争が終わると同時に、米国の植民地政策のもと、前の時代との分断が図られた。アメリカにとって怖くて怖くて仕方がない、強い強い日本軍を徹底的に破壊したかったのだろう。マッカーサーが厚木の飛行場に降り立ったときも、パイプを加えながら偉そうに立っていたが、その実、夜にニンジャが暗殺にくるかもしれないと膝はがくがくふるえていたという。その後、日本人の紳士的な対応をみてすっかり安心してのうのうと暮らすようになったが、日本の文明度の高さには感動したに違いない。彼等の親にあたる英国などとくらべても、文化の厚みは圧倒的だ。

 

雨の名前でもおそらくは数百はあるだろう。冷たい雨や12月の雨のように、ある感情と結びついて、継承された思いというものがあった。

 

いろいろな花や草、野や山、それがわれらの生活をいろどっていた。つい最近、昭和までは、手紙の最初には必ず時候の挨拶を入れた。「日々の風にもさわやかさが感じられる季節となりました」。などと、自然を語ることが普通だった。メールとともに、それらの習慣は飛んでいってしまった。

 

兼好法師が徒然草で、自然の変化を語らない田舎者なんかとは口も聞きたくない、などとけちょん、ケチョンにやっつけたから、それ以後、数百年に渡って、手紙に書く時候の挨拶は日本人の義務のようになっていた。兼好法師より米軍のほうが強かった。

 

何と言っても、70年前のアメリカの日本文化分断政策が大きかった。まず、漢字の数を制限され、そもそも学校で教えてもらえないから、明治大正や昭和前半の本が読みにくくてしょうがない。文化の多くが受け継がれなくなった。感情ばかりでなく、厚みのある思想もそうだ。江戸末期のベストセラー日本外史でさえ、読める人は多くはない。

 

東日本大震災の時、被災した東北の方々が、整然として落ち着いていると、世界が驚いたというが、その背後には、文字に残った歴史だけでも1500年をこす歴史の厚みがある。深く長い歴史の厚みから生まれているものだ。

 

中国だって5000年の歴史というが、ひとつひとつの文化はほろびてなくなってしまっている。孔子も孟子も消えてしまっている。中原の漢民族の国家と言えば唐や明など、きれぎれに生まれては消え多くはない。しかも、その間に異民族の支配がある。元や清などだ。異民族だから中国民族の文化などそのたびに消しさっている。孔子、孟子や朱子などは、江戸時代にしっかり研究した日本のほうが正統といえるくらいだ。今の中国といえば、みての通り、野蛮人そのもので、日本人が持つ香り高い文化などはかけらほどもない。

 

アメリカなどは初代大統領のワシントンから数えても200年がいいところ。アメリカの文化などたかがしれている。アメリカの植民地時代、独立のきっかけになったボストン茶会事件が1773年だ。田沼意次が辣腕を奮っていた頃で、我らの感覚で言えば、1701年の忠臣蔵よりももっと最近、つい、昨日のことだ。

 

われらの感性は、仏教伝来が538年、伝来初期に熱心に仏教を説いた聖徳太子や奈良・平安のころからでも1000年以上。雨に多くの名前が付けられているように、われらを取り巻く自然と共に、われらは生活してきた。その感覚は、冷たい雨や12月の雨のように、地下水脈を通って、我らの前にあらわれ引き継がれている。

 

 

 

 

 

 

冷たい雨

 

冷たい雨に打たれて街をさまよったの

もうゆるしてくれたっていい頃だとおもった

 

部屋に戻ってドアを開けたら

あなたの靴と誰かの赤い靴

 

あなたは別の人とここでくらすというの

こんなきもちのままじゃ

どこへも行けやしない。

 

 

 

この作詞作曲はユーミンだ。