EPILOGUE

身はたとひ 武藏の野辺に 朽ちぬとも 留め置かまし 大和魂

 

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一人でいれば、読書をして、自分と向き合う。
仲間といれば、議論をぶつけて、志を語り合う。
つねに全体を見渡し、個としての自分はどう動くべきか見定めながら、たとえ旅の途中であろうとも、牢獄に入れられようとも、死を目の前にしようとも、松陰先生は自分が信じる生き方を、最期まで貫き通しました。
「やらなければならないことがあるなら、それは誰かがなさなければならない。もし誰もやらないのであれば、喜んで私がやろう。その結果が英雄と称されようが、死罪となろうがそれは私の知るところではない」

 死罪の判決を受けたとき、松陰先生はまったく動じませんでした。
「承知しました」と答えて立つなり、付き添いの役人に「今日もまたご苦労でございます」とやさしく言葉をかけ、刑場に着けば、死刑にのぞんで懐紙を出し、はなをかむと、心静かに目を閉じたと言います。
首切り役は後に「これほど最期の立派だった人は見たことがない」と感服したそうです。

 松陰先生は自らの毅然とした行動と発言でもって、人が本来持っている力を思い出させてくれます。
自分の生き方だけが、自分を救ってくれる。
そして人は何も付け加えなくても、すばらしい生き方をすることができる、そう気づかせてくれるのです。

 吉田松陰という存在は、没後150年以上たった今もなお「きみは本気で生きているのか?」と私に問いかけてきます。
彼は30歳で亡くなりました。
奇しくも同じ年齢で、私はこの本を作る機会に恵まれましたが、松陰先生の存在ははるかに遠い。そのことをただただ痛感することになりました。
「教えることはできないが、一緒に学びましよう」とは松陰先生が弟子たちにかけた言葉です。
松陰先生が命をかけて残そうとした知恵と想いを、読者の皆様とともに受け止め、後の世につなぐことができればこれ以上の喜びはありません。