覚悟の磨き方VOL.72(2年H)

自分はどこからやってきたのか
  自分のこの身の、原点は一体どこにあるのか。
  はるか昔までゆっくりと思いを馳せていくと、
  突如、感激の心が湧き起こり、
  「よし、やってやろう」という決意が生まれます。

 

大切な人のために今日できること
  今日という日は二度ときません。
  死ねば、再びこの世に生まれることはありません。
  だから大切な人を喜ばせるために、
  少しの時間も無駄にしちゃいけないんです。

 

松蔭から学ぶ6
「終わりを意識する」

享楽にふけることで、一時的に忘れることはできる。
だがそれは静かに、着実に歩み寄ってくる。

もしくは予想を裏切り突然やってくる。
ひとりとして例外はなく、いつかは必ず対面する。
あろうことか、本人も知らないうちに。

死。

終わりを意識できるのは人間だけだ。
それでも懸命になって、

死のイメージから逃れようとする人は、

いつの間にか「人生はいつまでも続くもの」

だと思い込まされているのかもしれない。
人生は長いと思う人もいる。

人生は短いと思う人もいる。
だが本気で生きるということは、

「わずかな残り時間でなにができるか」
を必死で考えることによく似ている。
やり残していることを、臆せずにやればいい。
死を意識すれば、

人の”生”は否応なく正解を導き出すはずだから。

松陰は死罪だとわかっていながら、

迷うことなく海外へ密航しようと試みた。
死ぬまで出られないとわかっていながら、

牢獄の中で「人生とはなにか」を
学び、人に教え続けた。
30年という短い一生の中で、

松陰が見つけた

”死への決着”とはなんだったのか。