ひとはすべて善でもあり、悪でもある

 

【オモテがあればウラがある】

 

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思い出すシーンの一つ。

公式戦、井田勝通がベンチから「シュート!!」と立ち上がり叫ぶ。

その選手はその声でシュートを打った。

印象に残ったのは直後井田から語られた言葉。

振り返り、あの顔でニヤッと笑ってベンチにこう言った。

「俺の声をフェイントに使わないとな。まだまだだな」

スタッフは「?????」きょとんだ。

スタッフの飲み会で大爆笑で語られる少年のような偉大な指導者のエピソードの一つだ。

このチーム。

ミスをしても、指示と違ったプレーしても絶対に替えられることはない。

だがアイデアのないプレー・勇気のないプレー・受身な選手・消極的な選択する選手は替えられる。

 

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もう一つ笑い話

旗手怜央のお母様は怜央が小学生低学年の頃からの「谷田虎の穴」を座右として子育てをしてきた方だ。そのお母さまが、その張本人の私を知らないでシズガクの試合を見に来て「ドスきいたガラガラ声で判定に『何やってんんだ(# ゚Д゚)●●審判!」文句付けている自分を「あの人『谷田虎の穴』読んだ方がいいわ(笑)」と本気で思っていたという(爆笑)

 

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鬼平犯科帳は教えてくれる

 

理想のとおり、なかなか行かないことがある。

 

自分心の中で、暗いものを感じて悩む時がある。

 

ライバルや相手チームの「敗け」を望んでしまう醜い自分に気づくことがある。

 

そうなんだ。人間とはそもそも、善悪持ち合わせた存在だ。

 

そんな時、

 

“そんなことで悩むな”と、「鬼平犯科帳」の長谷川平蔵が深いおおらかになる言葉を教えてくれる。

 

鬼平犯科帳ー池波正太郎

人間というやつは、遊びながらはたらく生きものさ。

 

善事をおこないつつ、知らぬうちに悪事をやってのける。

 

悪事をはたらきつつ、知らず識らず善事をたのしむ。

 

これが人間だわさ。

 

悪いことをしながら善いこともするし、

 

人にきらわれることをしながら、

 

いつもいつも人に好かれたいとおもっている……

 

(鬼平犯科帳2「谷中いろは茶屋」より)

 

純粋な善も純粋な悪も存在しない。

 

時に人のためによかれと思ってやったことが

 

知らないうちに他人を傷つけたり、

 

人を殺すのをなんとも思わないような悪人が、

 

一方で他人に感謝され仏のように思われる行為をしていたりする。

 

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『愚かさは力なり』という言葉が書かれていました。いただいた言葉とともに、一生の宝にしようと思います」

 

 この「愚かさは力なり」という言葉も、酒の席でよく言う「みんなを許せ」というのも、実は同じ意味合いを込めている。

 

 愚かな人間は、他人の悪いところを探し出しては、「あの人は処分されるべき」「あの子どもは悪い奴」と思い込んで主張する。でも真実はどうだろう。人はみんないい心と悪い心を両方持っているものだ。現れ方はそれぞれ違えども。

 

 なぜ人の悪いところばかりが気になるのか。それは自分の黒さを直視したくないからだ。自分の醜いところを認めたくないからだ。事実、「あいつが悪い」と思った瞬間、自分自身の心の暗黒を棚に上げてしまうことになるんだ。

 

 人というものは善さと小さな暗黒を併せ持って生きている。その黒いものを一生墓場にまでもっていくかどうかは別にして……。

 

 私は今まで、ダメな男にたくさん会ってきたが、みんななにがしかの自分より優れたところも持っていた。素晴らしい男にもたくさん会ってきたが、弱点や闇はみんな持っていた。モンスターペアレンツは、いつも他人様の子の悪いところをほじくりだして批判することで、わが子の暗黒を見逃し、愛する子が人として成長するのを歪めているのだ。

 

 また、気が合う人とだけ付き合おうとする者がいる。嫌いな理由はさまざまで、意識したり無意識で区別しているが、往々にして、「いやな奴」にこそ、自分にない本当は身に着けるべきものがあったり、自分が苦手で避けていることを学べる人であったりもする。「なんだか苦手」だから付き合わないということは、学ぶ機会と友人を失っている。自分の可能性を失っているということでもある。

 

 すべてが善い人間などいない。同様に、すべてが悪い人間もいない。自分が学ぶべきところが全くない人間もまた、めったにいないものだ。

 

 作家の池波正太郎は『鬼平犯科帳』で、主人公の長谷川平蔵にこう語らせている。

 

 「人間という奴、遊びながらはたらく生きものさ。善事をおこないつつ、知らぬうちに悪事をやってのける。悪事をはたらきつつ、知らず識らず善事をたのしむ。これが人間だわさ」

 

 「人のこころの奥底には、おのれでさえわからぬ魔物が棲んでいるものだ」

 

 随想でもこう語っている。

 

 「ちかごろの日本は、何事にも、『白』でなければ、『黒』である。その中間の色合が、まったく消えてしまった。その色合こそ、「融通」というものである。戦後、輸入された自由主義、民主主義は、かつての日本の融通の利いた世の中を、たちまちにもみつぶしてしまった。皮肉なことではある」

 

 話は違うがこういうことも言っている。

 

「人生の苦難に直面した男が求めるものは、酒と女にきまっている。この二つは、それほど男にとって貴重なものなのだ」

 

 この言葉は余談だ( 笑)。

 

 最近の文句言ったもん勝ちの風潮の中、クレームにビビり、毅然と対処できず、顕在化した黒を切り捨てる管理するだけの学校教育はダメだ。まるで「黒は見つからなければよい」と奨励しているようなものだ。

 

 アピールされた「糞みたいな白」だけを褒め称えるのも問題だ。まるで「白は人前で分かるようにやれ! じゃなきゃ意味ないぞ」と教えているようなものだ。